| (2019・8・12 影:ncan) |
都会化されたとはいえ、亡くなった人を生者の家に迎える昔ながらの風習が息
づいている。
このときいなかでは、彼岸からの死者の訪れがあり、位牌を仏壇の外に出して
ファミリーでそれを迎える慣わしだった。
こうした死者の季節は、古くからの由来によるばかりではない。
戦時下生まれの僕らにとっては、1945年8・6広島と8・9長崎の原爆投
下によって、無数の人が亡くなり、先の大戦が終結した事実がある。
亡くなった人は「見えない」と云えば見えないが、姿が見えず言葉も聞こえず
とも、「在る」と感じることができる。
この存在感は、誰もがもっている世界観ではない。
死者はいない、無(消滅する)であるという感性を持ち合わせた人もたしかに
いる。だからと言って、この人は追悼式や慰霊祭(34年前のきょう日航機墜
落)に参加することはあるでしょう。
最近、「墓じまい」なる言葉を聞くようになった。住まいと田舎が離れていた
り、管理しにくくなったケースだと思う。
だが、墓も故郷もなくなれば、お盆や正月の年中行事も先細りして、大事な何
ものかが失われる気がする。
0 件のコメント:
コメントを投稿