東京に出てきて、初めて靴を買ったのは、50年代の終わりの頃だ。
秋口だったので、ブルージンズに合わせて濃紺のスウェードの靴を買った。
新宿東口にあった「ワシントン靴店」だった。
底が生ゴムでフイット感がある、上下のジーンズ合う靴だった。その後、履く
機会がうすれ、何度かの転居を経て半世紀以上なるが、下駄箱の片隅にしっか
り在る。さすがに、けばだつ色は限りなく黒に変色している。
その靴を、時に手にぶら下げてみると、20代前のフットワークのよかった日
の記憶がよみがえってくるのである。
川苔山や雲取山へ登山したとき、大枚出して入手した「ザンバラン」の革靴も
在る。いまでは、皮も靴底も硬くなって慣れるのに時間を要し履きかねるが、
当時この靴をはいて瓦礫の山を登っても苦にならないほど優れモノだったこと
を思い出す。
また、オーストラリアにダイビングに行き、ケアンズで買ったサンダルは本場
の皮製品だけあって、堅牢で快足。宿泊地でもあったケアンズの町を想い出す。
モノは、他にもカメラや鞄が数種類あふれている。それらの一つ一つに宿る想
い出があり、記憶を生起させる装置でもあるのだ。
だから簡単にモノは捨てられない。
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