8・6原爆の日と俺の誕生日が同日だと知ってか、倉敷の姪っ子や縁者から急に
メッセージが届くようになった。
ぼくは1940(昭和15)年生まれで、敗戦の年に5歳でした。岡山県津山市から
さらに山峡の温泉地の田舎でしたが、サイパン島帰りの教師だった父の情報収
集からそれとなく敗北の戦況はぼんやり分かった。
だけど、御祖母ちゃんをはじめ村の人たちで泣き崩れたり取り乱すひとはいま
せんでした。また遠くまで米の買い出しに行く人もあまり見かけなかったなぁ。
戦後一年生で小学校に上がった僕たちはとにもかくにも「民主主義の一年生」。
これは戦後81年を経た未だに止揚されているわけではない。




