2012年6月29日金曜日

森の図書館へ本を送る


今日、本を箱詰めし森の図書館へ送りました。
田島征三『猫は生きている』、『小さいおばけ』、『ビーバーが森にやって来た』
児童書やコミック『軽井沢シンドローム』全巻そろいのほかに、単行本数十冊
なった。
<大槌の風>が本格的になってくると、今お願いいしつつある児童書が一気
充実するとおもわれるので、司書のボランテァが早急に必要とされる。
いろいろな会合でも、開館した森の図書館が話題に上がり、支援・送本方法を
訊ねられることが多くなってきています。
今しばらくお待ちください。NPOの認可をもって、一気呵成に行きたい と考慮
中です。
6月4日付の「朝日新聞」全国版で<森の図書館>で本を読むこどもと母親を
紹介いただいた国吉美香さんから、お手紙をいただきました。未だお会いした
ことはないのですが、震災後の一年を取材されてきた日々のなかで次第に報
道も減りつつある復興の遅れる大槌町の日常を丹念に継続して発信し続けて
おられる。
これから、こそ、本腰を入れたそれぞれの支援が必要になってくるであろう
えていす。
僕としても、もう少し何とかならないものかとおもいつつ、東京と岩手三陸の遠
隔感覚が埋まらず戸惑いがあるものの、この活動を永続的な長丁場ときめて、
シコシコやっていく覚悟です。


【日々の一口メモ】
6/22(金)  *出版健保診療所へ。名倉先生
           の定期健診に罹る。投薬受取。
           洋泉社に寄る。

6/23(土))  *ネット契約先・多摩ケーブルに
           インターネット接続不良(Skip、
           ブログ)につい相談。(相馬)

6/24(日)  *終日自宅。さつき、柚子の刈り 
           込み。(剪定)

6/25(月)  *<でん八会>へ出かける。豊太
           (アキサン)、長田、当山、村田
           等に会う。

6/26(火)  *庭の草木に殺虫剤を散布する。
           

2012年6月28日木曜日

杉山N君から出口君を悼んで

杉山君は洋泉社の創立時の一人で、今は出版社を解纜して勢力的に活動してい
る。苦労を重ねてきた甲斐あって、堅実な経営で、話題になる本も多く刊行してき
ている。
僕のブログを見て、杉山君の出口君との関わりなど露と忘れていたが、悔やみの
言葉を聞いて、深く感じるものがあった。

出口さんがお亡くなりになったのですね。
心からお悔やみ申し上げます。
お仕事は1度だけ『死霊論』でしたが、駆け出し編集者として、いろいろ学ばせてい
ただきました(もちろん校正についてはその後、藤森さんの奥様にも沢山学ばせて
いただくことになるのですが)。
たとえば、引用の確認はこれだけ手間をかけてやるのか、ということなどです(なか
なかできていません)。また柱のつくり方(奇数と偶数の関係)・校正も、出口さんに
教わったと思います。

残念です。でん八で、またお会いできる感じがしてなりません。
安らかに眠られることをお祈りいたします。言視舎・杉山尚次


因みに、『死霊論』(1985年刊)は、洋泉社の第一冊目の新刊です。
そして、杉山君には<大槌の風>の賛助会員の了承も得ている。



【日々の一口メモ】
6/17(日) *孫に18インチの自転車を買い与え
          る。仮面ライダーになった気分で、
          ハシャギ乗り回る。
6/18(月) *節子さんから、7月上旬の自宅での、
          しのぶ会について電話をもらう。
6/19(火) *季節はずれの台風来襲。庭の柿の
          実が相当落ちる。
6/20(水) *慈恵医大眼科神経科で、半年振り
          のボドックス注射の治療に罹る。
6/21(木) *八重山諸島行きの航空券他一式が
          届く。この手の手配は毎度のことな
          がら、タカノにお願いしているが、
          完璧に感謝。 
石垣島・平久保崎灯台
         

2012年6月27日水曜日

大槌の聞き書き 3

仮設住宅で、吉田Sさん
S増田さんの午前から午後にかけて4時間に及ぶ、被災者の聞き取りを三回に分けて転載いただきました。
一度遭った事はまたある事であって、3・11から多くの事実を聞き書きで残し、災間に備えることの大切さを教えられた。
僕の義御祖母ちゃん(94歳)からも昭和8年の三陸大津波について聞いたが、れが伝承され、余裕の時間をつくるな、山に向かって急げ、引き返すな、リュックサック一つに絶対必要不可欠なものを入れ寝所に置く、など等…であった。
大きな被害を出した大槌町だが、津波に対する備えは相当いきわたっていた
ようだ。にもかかわらずである…。


安渡の仮設住宅
聞き書き・被災地からの風「大槌の風」3   2012.5.9~12

「自分で命をつめるな」
関洋次さんがここの仮設住宅に住む人たちにいってきたのは
「津波で助かた命だから自分で命をつめるな」という言葉だった。
この言葉を発するまどんな思いで関洋次さんは運命をともにした人たちのこと、その暮し、そ将来を思ってきたのだろう。
関洋次さんは「自分で命をつめるな」となにげくいうが、聞いた者は言葉を失ってしまう。「命をつめるな」という言葉に、この1余の間に、関さんが見たこと、聞いたこと、体験したこと、思ったこと、考えたことの丸ごとを凝縮してきたにちがいない。
「だから、ここでは311日の大震災後に亡くなった人は病死2人だけだ。自殺た人はいない」という。関洋次さんが今一番心を砕いているのは、仮設住宅で暮らしている人たちと自分の家屋に住むことができている在宅の人たちのことである。関洋次さんは、「仮設住宅の人たちも在宅の人たちも被害者として同じだ。生活に欠かせないライフラインも物資の購入も同じで、利便さも不便さも同じなのだから」という。だか、在宅の人たちは避難せざるを得なかった人たちに「遠慮している」という。さまざまなことで、いっしょにやろうと呼びかけても遠慮が先に立っているという。
関洋次さんは「今の問題は、在宅の人たちの遠慮や差を取り除くことだ」といている。

仮設住宅に暮らす
関洋次さんが心がけてきたのは、「顔の見える仮設の人たち」だった。そのためには閉じこもりの人がいないようにいろいろな集まりをもってきた。ただ、と女の集まりがちがう、という。私が参加させてもらった生協ふれあいサロンは女性ばかり10余人の集まりだった。生協の職員による全身の簡単体操、たとえば足や関節のリハビリになる屈伸運動と歩き方・立ち上がり方など、毎日している動作を中心にした体の保全であった。そのあとには、弁護士の方が、被災したことによって生じた財産・負債・相続などの話で、ふだん考えたこともない私たちに、暮らしを守る法律をわかりやすく説明してくれた。たとえば、私的財産の整理ガイドラインの制度は、まず生活費として500万円を手元に残しその後にローン返済などに充てるという現在の生活第一義の制度、また破産や自己破産などでは保証人に責任を負わせない制度などの説明などである。ふれあいサロンの人たちを見ると、落ち着いた生活をしている様子がうかがえるが、この12カ月という歳月を仮設住宅で暮らす人たちは多いのだ。安渡の世帯数は約800戸で、人口は約2400人であった。現在、あちこちに移転しているが、48ケ所(仮設住宅)に散らばっている。私が訪れたのは第二仮設住宅で、34100余人が住んでいる。そのうち、若い人と同居しているのは6戸である。
仮設住宅は軒を連ねているので、ちょっとの用事であっても、すぐに会うことができる。
粟や黍の五穀飯を食べる時でも、紹介の労をとってもらった吉田新一さんや公館の館長である関洋次さんをすぐに呼んでもらうことができた。
関洋次さんは「各地にみんなが散らばって暮らしているが、みんなで安渡にることを前提にいろんなことをしている」という。

明治29年・昭和8年の大津波の聞取りの教え
安渡二丁目の人たちはふだんから防災にたいする意識を養ってきた。そのひとつが明治29年の大津波と昭和8年の大津波について、経験者から聞き取りをしていたことである。明治29年については体験者はいないので、昭和8年の大津波の経験者で、90歳以上の人たちが対象であった。たとえば、
★「一回きたものは二回、三回と来る」
★「山さ、逃げた」
★「山さ、登った人は戻るな」
★「津波は大きかった」
今回聞いた話はこの程度であったが、ゆっくり話を聞けば、親から聞いていた話などもっとたくさんの話が聞けると思われる。ここの人たちは口が重いので、なかなか話を聞くことが容易でなく、津波や災害の伝承が少ないのだという。青森などはそういう伝承活動が盛んな地域もある。(増田注: 体験者からの津波の話を聞いていた地域には被害が少ないといわている。その参考文献には、山口弥一郎著『津波と村』三弥井書店、川島秀一『津波のまちに生きて』冨山房インターナショナルなどがある)また、こうした体験話を聞いても、一般の人は「受け身で、ただ、90歳以上の人から話を聞くだけ」であった。しかし、関洋次さんはじめ、町内会のリーダーたちは、津波が来ることを現実的なものとして受け止め、体験者の話を真摯な思いで聞いた。その時のために備えること、その時、どうするか、常に頭に描いていた。そのことが今回、活きた教訓になった。訓練は津波が来ると思って訓練しないと行事になってしまっては、活きてこない。とにかく、時間を無駄にしないで、逃げることが大切であった。
しかし、明治29年の伝え聞いた伝承も、昭和8年の伝承も参考にして地震や津波の災害を想定して、防災に取り組んできたが、マグネチュウド9以上の地震は想定していなかったという。今回の経験で危機管理の重要性がいかに大切かを学んだという。
大槌町の防災日の訓練もふだんからの防災意識を養っていた。昭和833日の大津波を記念して、防災日を33日に指定して訓練をしていた。だから、平成11年の311日の東日本大震災が起きた時は毎年の訓練を終えたばかりであった。
「命の釜」は町内会の「自主防災部」
「命の釜」を管理・活用してきたのは「自主防災部」と名付けられた安渡二丁目の町内会であった。実は、災害があったときのために自分たちで防災活動をしよと動き出したとき、隣の町内会にも呼びかけたが、賛同は得られなかった。防災部は吉里吉里など他の地域にもある。防災部ができたとき、国の宝くじによる補助金から120万円を受けた。そのお金で「命の釜」を買ったり、防災ズキンを作ったりした。安渡二丁目の地域はもともと自主的な地域活動を行ってきた。そのための自主的リーダーの育成もしてきて、災害時の炊き出しの訓練も食生活改善協議会の会員中心にやってきた。関洋次さんは公民館活動をし、町内会副会長としての活動もしていたが、震災後は町内会一本にしぼって動いてきた。関洋次さんは「津波が来ると思って訓練しないとだめだ。いつも本気で訓練してきたから、今回、少しの時間も無駄にしないで行動することができた」という。安渡二丁目住民の防災意識の高さは、このようにふだんの生活の中にあったといえよう。
第二仮設住宅そばにある防災倉庫は現在2棟あり、以前からの倉庫には道具類が保管され、新設されたもう一つの倉庫は食料庫として活用している。アルファ米や缶詰などで、震災後に自衛隊が持ってきたものを今も保管している。
津波のあとの村
昔は津波がきて、それが終わったら、まず、海岸に近い元の場所に納屋を建て、それを拠点に漁業関係の仕事などを始め、そのあとに母屋を建てていた。しかし、今回の地震・津波のあとで元の家のあったところに納屋や家を建てようとする人おらず、高台移転を希望する人たちが多い。安渡の町は今回の地震で50~100ンチの地盤沈下した。海面よりも下に排水溝があるという状態で、町の道路はいたるところで湧水のように水が吹き出ており、冠水している道路も多い状態である。もともと安渡の町はアジア・太平洋戦争後に埋め立てた地域で、海苔の干場に使っていたところであったが、それが住宅地になり、今回の災害ではここの被害が大きかった。家屋の土台になっていたコンクリートをはがしたのは波の力だった。建物は形をとどめているものはなにもない状態までやられた。大槌町役場が浸水区域には建築制限をかけるという話も住民には伝わってきているので、戸建か集合住宅かはわからないが、高台移転になる可能性が多いという。私が滞在している間にも、他の人から高台移転の希望が進んでいるという話も聞いた。そういう地域の移転は早期に着工され、完成も早くになるという。安渡の高齢化率は50パーセント以上だという。こうしたことも移転問題を複雑にしているのであろう。
関洋次さんは現在公民館のそばの仮設住宅にお住まいであるが、東日本大震災後、714日まで自分の車で寝泊まりしていたということであった。

2012年6月25日月曜日

小山Kさんのこと

玄関先のカサブランカ(昨年と同日に咲く)
小山さんから、冊子『ご挨拶」』が送られてきた。
先に、僕の冊子『洋泉社私記』について、久しく会っていない小山さんから丁寧な返書をもらっていたので、冊子を拝受するに当たって唐突には感じなかった。友人出口君について屈指の優秀な校正者と言ったが、小山さんもまた、無頼っぽくも優れた文芸編集者だとおもっている。
この本で知らされたのは、昨年6月に多発性骨髄腫(血液がん)に罹り、すでに二度にわたり大量化学療法を施している との知らせでした。彼に最初に会ったのは、1980年代、僕が所属している草野球チーム・カンバイズの千葉、大網海岸での納会だったと記憶している。その後も、神保町界隈の集まりに、書新聞の井出君たちと同席することがあった。
この時が、日本文芸社時代で、編集者、T・原さんも一緒のことがあり、印象に残っている。
小山さんの編集一筋の始まりは徳間書店で、以後、作品社、日本文芸社、角川春樹事務所、飛鳥新社、フリー と、出版編集活動されてきたわけで、僕の出版に身をおいた時期と重なります。
文芸編集活動のなかで、つきあいの広さ、豊かさはさにありなんで、驚くにはあたらないのですが、知った著者の名前、別のきっかけで会っている方々が交差しているのにきずかされ、驚いています。血液がんは、難病です。すごい気力で立ち向かわれていらしゃるのに、圧倒されます。


一筆の添え書きに、1章、8章以外は無視して頂いて結構です とあったが、編集の仕事一覧を始め一気に涙して読了。


【日々の一口メモ】
6/13(水) *水曜・正午会に出席。(5人)
          洋泉社へ
6/14(木) *ヤスイ会 安井・内山・岡・
          十十木・白井・渡辺・福田・
          島田・清水・岡本S・古川・
          瀧井・藤森 13名
          次回の第100回は一泊旅行
          を11月に決定。
6/15(金) *Dota著『波涛を越えてーー』
          の著者責了にたち合う。
          (杉山・古谷M)
6/16(土) *出口米次郎死去の知らせが
          あり、薬円台の自宅へ深夜、
          駆けつける。

2012年6月24日日曜日

大槌町の瓦礫を 東京都が受け入れ

後景は被災の大槌町役場(2012・5・12)
ウェブページにアクセスできない原因を突き止められず、数日アタフタして過ごす。
パソコン用語辞典で初歩的概念を調べたりするうちに、なんとか起動する状態へ
たどりついた。一番の原因は、仕事場を一階から二階へ移したために、シグナル
の状態が弱くなったことによるらしい。


東京都は、7月中旬から鉄道貨物で搬入を始める予定と発表した。
やっとか の、感はぬぐえないが、急いでもらいたい。
一方で、震災がれきを再利用(森の防波堤作り&復興用資材に転用)する動きも
出てきており、動きが急であるに越したことはない。
大津波で一瞬にして根こそぎ持っていかれた瓦礫には、人々の生活の歴史と思い
出が詰まっているが、再利用されることで震災の記憶を後々に伝えることにもなる。
瓦礫の処理は、まだまだ途上で、岩手、宮城で処理済みは8%にとどまっているよ
うで、特に、遅れている大槌町は放射性物質の懸念はないわけで、もっともっと全
国の自治体が協力したらいい。


今日、森の図書館・佐々木さんから、図書館のオープン後も、全国の支援者から
が届けられていること、そして、土曜、日曜に訪れる楽しそうな親子連れの集
りが繁く見られるようになった様子を葉書でいただいた。


【日々の一口メモ】
6/10日(日) *PCデポへ。Skypeのイヤホーン
           &マイクの不調を検査してもらう。
           結局、新品を購入することで決着。


6/11日(月) *毎年6月には、恒例の大島イサキ
           釣りツアー(ダイビング)があるが、
           今年は、石垣島行きとの兼ね合い
           で不参加に。幹事、浅見さんへ。


6/12日(火) *神奈川県立川崎図書館の要望で
           「洋泉社私記」を送本する。



2012年6月19日火曜日

出口米次郎君・追悼

在りし日のキャパ・出口君

中央公論社を辞めて赤鉛筆一本で独立し、校訂までできる屈指の校正者として、
著者・作家らの信頼は絶大であった。その後、生涯、サラリーマン生活をすること
はなかった。山が好きだった彼は、一時期、蓼科、八が岳山麓にペンションを建て
る事を夢見たこともあった。
5月21日の金環食を見た日、佐倉の空模様は晴れているかな~と、なにげ
呟いたところ、気になったら直ぐに と女房に急き立てられて、佐倉市民病院
舞に行ったのだった。
佐倉では、金環食は完全には見られず、雲の隙間から復元する太陽の姿だけ
だったようだ。
先日、大槌町へ行っているのを知っていて、メールで町の復興状況を知らせてほ
しい要望をもらっていた。焼けた江岸寺、鉄骨むき出しの町役場、吹っ飛んだ灯台
蓬莱島(ひょっこりひょうたん島)、道端に咲く菜の花の写真を見ながら、彼は、
10ヶ月前に岡弁護士らと行ったときと何ら変わってないな と言葉少なに言った。

それから、20日後(6月10日正午)に亡くなったのだった。


6月3日に鼻からの出血が激しく、危篤状態になり、3,4日後には早く眠りたい と
が混濁した様態だったらしい。
16日昼過ぎに、娘さんのももこちゃん(後に節子さん)から他界の知らせがあり、
明朝にと思っていたところ、再度、節子さんから「ももこが今日中に来てほしい、、」
との電話を受け船橋薬円台に急いだ。ももこちゃんが車で津田沼まで迎えにきてく
れた。
35年も前になろうか、出口君夫妻と2,3歳だったももこちゃんが我が家を訪ねて
くれたことがあった。再会したももこちゃんは本当にしっかりした娘さんになっていた。
1月に入院してから毎月、見舞力を渡してきたのである。が、弱い抗がん剤の一
断とともに、簡単にくたばりたくないので、可能性ある治療に挑戦してみようと
もう と言っていた矢先での、悔しさの残る急逝であった。
最後の校訂・校正の仕事は、奥本大三郎翻訳『完訳ファーブル昆虫記』であった。
古くは『折口信夫全集』(中央公論社)から「アエラ」(朝日新聞社)など、多くの作品
を手掛けた出口米次郎は斯界では有数の校正者であった。
新宿の酒場(でん八)には、聖書研究会を終えて寄った出口君がいた。飲むほどに
らつな咆哮に接しつつも、根っからの心優しさに負けてしまう。
42年前に出口君に貸したまま忘れていた埴谷雄高の『姿なき司祭』を昨秋になっ
て返してくれた。心急ぐのか本などの身辺整理をしている様子がうかがえた。

祭壇には阪神タイガースのコップに缶ビールが供えてあったが、熱烈な内なるファ
ンであったらしい。また、車好きで長距離ドライヴを楽しんでいることもよく耳にした。
最後は真っ赤なスポーツカーで全国を走るんだとも、、、。
遺影は、真っ赤なTシャツに短髪の柔和な顔だった。
マルクスは、赤が一番好き、と言ったという。さて、内村鑑三は、、、。

50余年來の友である出口君が去っていくのが悲しい。






八重山諸島・石垣島へ


石垣島最北端の岬


7月1日から、八重山諸島の石垣島と黒島へ出かけることになっており、その打
ち合わせがあった。
石垣島へは、2008年に一度、足を踏み入れている。
この時は、5月に3・11被災地・大鎚町の<命の釜>の聞き取りで一緒した増田
さんが、石垣島北部の伝統作物とその試食会・エコミュージアム構想に知恵をと
のことで、一員で参加した。
僕としては、その延長線上で出かけるつもりであったが、夢あるエコミュージアム
については、地の人と、リーダーS増田さん、僕たち側の支援体制が上手く構築
でき停滞しているのが残念。
だが、近く開港の石垣島空港と観光事業(ホテル、ゴルフ場)で環境悪化が問題
とされている現況を見て来ようとおもう。特に、僕としてはマングローヴ、さんごの
海岸線の破壊が気がかり。
石垣・平久保崎灯台


【日々の一口メモ】
6/6(水)*水曜正午会に出る。出席者:清水G・
                 小澤K・瀧井T・市川K~5人
6/7(木)*清水Gさんが、隣友会幹事の東京大学
                 出版会の依田Kさんと話し、僕のブログ 
                 と6/4日付「朝日新聞」で大槌町に開
                 館した<森の図書館>の紹介記事を、
                 燐友会仲間へ知らせてくれる。
                 メンバーのなかでもでよく知られたブロ
                 グ<シンさんちの・繭の里通信>(佐々
                 木S)と、<竹ちゃんのユーラシア横断>
                 (竹内K)がある。
                 清水さんの情報の発信と気配りに感謝!
6/8(金)*S増田・Y西村と吉祥寺ルノアールで沖縄
                 石垣島行きの打ち合わせ。後でヤナギダ
                 とエンドウが加わり場所を替えて懇談。
6/9(土)*東京堂出版を退職する横山三雄さんを労
                 う野球壮行会の日であったが、朝から雨
                 がぱらつき午後から本格的になり、中止
                 になった。
                 洋泉社を発祥チームとするダイナマイツ
                 初期からの選手であり、出版業界での付
                 き合いも長く、久しぶりのプレーを楽しみ
                 にしていたので残念。

2012年6月15日金曜日

大槌行き3日目(その2)


安渡の仮設住宅集会場

<大槌の風>会員のS増田さんの仮設住宅集会場で茶話会を催うすお婆たちへの聞き取りの連載2回目をお届けします。被災地の写真は多く見られるが、傷心を開いて語り合ったものは未だ非常に少ない。
被災の小国ヤスさんたちが入居する仮設住宅は、正門の桜が満開の旧安渡小学校の校庭に施設されていた。

聞き書き・被災地からの風「大槌の風」2   2012.5.9~12

生きるための志しの高さ
 翌11日、安渡第二仮設住宅の「生協ふれあいサロン」では、十数人の女性の方方が生協の職員の指導のもとでストレッチ体操をし、弁護士による財産にかんする話を聞いていた。このサロンでは生協の方のご協力で電気炊飯器を借りて「五穀米」を炊いて、みんなで試食しながら話を聞こうと思っていた。今回、現地でお会いした方に手みやげ変わりの持参したのは、「五穀米」と称する米に雑穀四種類の入った穀類と、エゴマ製品であった。

安渡第二仮設住宅にある電気炊飯器は初めて使うものだということであったが、「五穀米」はうまく炊けており、さて、椀に盛るか、おにぎりにするかと思っら、椀もなく、サランラップもない。ある人の発案で、お茶用の紙コップで食べようということになり、箸と思ったら、これもない状態。「ツマ楊枝があるから、それで食べよう」という。たて長の紙コップに入れた五穀飯を短いツマ楊枝で食べる! 私のうちなる心は「うーん」とうなるばかりであったが、7人ほどの住民方たちは食べ始めている。「現地に入ったら、現地に倣え」というフィールド仕事にするものの鉄則を思い出し、私も食べ始めた。近所の方の家で炒って磨てもらったエゴマをかけ、エゴマの葉っぱ味噌をオカズにして。
この小さな私にとっての体験は「あるものはなんでも利用する」「できることなんでもしてもみる」精神の強さは、仮設住宅に住む人たちには日常茶飯事であったに違いない。この人たちの全身には「生きることに文句があろうはずがない」世界があったように思った。
しかし、それだけでは終わらなかった。「五穀米」の飯のオカズにした「エゴマの葉っぱ」をみんながおいしい、といい、小瓶入りの葉っぱ味噌が「もっと、ないの」という。辛みを帯びたこの味噌は雑穀の飯によん合うのである。持参していた「エゴマの葉っぱ味噌」とやはりエゴマのドレッシングを差し出した。もともと、エゴマ食品も五穀米も義捐金で購入して持参したものである。私は差し上げるつもりであったが、人数分がないため、迷っていた。それぞれほしい人が「大丈夫、買うから」と買ってくれた。そのとき、思いもしない声が飛んできた「そうよ、買うべきよ。もう、なんでももらう時期は過ぎたからね」前日、私を誘ってくれた小国ヤスさん(昭和6年生ま)の力強い声であった。被災した時からの暮らしの一端が見えるようであった。こうして12カ月が過ぎた今、支援を受けるのでなく、自分たちの足で立つ意識の表明であった。小国さんの言葉を聞いて、なにげなくソッポを向いたのは涙がこぼれ落ちそうだったからだ。「この誇り高い言葉こんなに強く、生きられるのか」。
                            (S増田・記)

2012年6月13日水曜日

大槌行き・7日目



波板観光ホテルと民宿サトウのこと。
今回の宿泊先は、初日から大半が釜石のホテルだったのであるが、最後の二日間
は土曜日と日曜日にあたったため、大槌町の民宿にお世話になった。
一日目は、佐々木さんと一献交えながら森の図書館の開館を祝したのであるが、そ
の際、当民宿のご家族に津波による被災者があったことを小耳にした。
が、民宿の女将の振る舞いが爽やかで、地産の野草や餅つきの食に関わることか
ら女学生時代の街並みの様子などの話に及んだので、いまある不幸について重き
が無くなっていたのだった。
いよいよ東京へ帰る朝、食事を済ませ自動車に荷物を積み込み帰り支度をしてい
る時、庭先に出ていたご主人にそれとなくお悔やみを言った。信じられない話に耳を
傾けることとなった。
民宿サトウから、大津波で崩壊したままの波板観光ホテルが目と鼻の先の松林に
透けて見える庭に、無造作にビール瓶ケース台に花とビールと酒の空き缶がのせ
られていた。宿泊客が浪板海岸を眺めながら一杯やった残骸かな とおもったので
あるが、そんな牧歌的風景ではなくて、津波にさらわれた行方不明の31歳の息子
さんと毎日対話しているのだと淡々と語られた。
息子さんは消防士で、津波で溺れかかっている波板観光ホテルの従業員らを、他
の二人の消防士と国道からホースを使って救助にあたっていた。一人は引っ張り上
げたが、さらに流されているのを見て自らホースを伝って救出に向かったが、どっと
濁流が押し寄せ飲み込まれたのだろうか、行方不明になってしまった。合掌。
浪板海岸は、寄せる波しかないことで有名で、きれいな松並木と長く続く砂丘が、海
水浴やサーファー、キャンプ客を呼び寄せる人気のスポットであったが、賑わいを取
り戻すには時間がかかるでしょう。

消防団員数は岩手・宮城27市町村のうち、被災前後の減少増減率を見ると、大槌
町が最も高く9・4%減で、211人から20人少なくなっている。

浪板海岸(1012・5・14撮影)



2012年6月11日月曜日

日本とドイツの学生がサマースクールで宮古・釜石へ


友人でグリム童話、魔女研究家のY西村女史から、日独学生50人前後で三陸
復興支援で9月上旬に足を踏み入れるとの情報があった。
僕への要請は、まとまった50人規模の人数が宿泊できる施設の確保ができる
のかという判断と、支援をサポートする現地組織の状況把握でした。
以下の様うに助言した。

大槌町には再興した民宿が数軒あるが、通常日は復興作業員の優先で難しく、
釜石市、宮古市にしても、今から予約しないと、やはり満杯だろう事を伝えた。
また、寝泊りだけであれば、集会場、神社境内なども交渉しだいで承諾が得ら
れるのではないか とも、、、。僕は、何度かの大槌入りで、被災地の方と知り
合い、関係も密になってきているので、できる事で協力していきたい。
サポート体制は、こと大槌町について、岩手県災害ボランティアセンターのほか
幾組かのNPOが有効に機能しているとおもわれる。
しかしながら、訪問地が、宮古市(田老)、釜石市が中心のようで、そうなると、
被災地におけるボランティアのスタッフを直接には知り及びませんが、広く活躍
している遠野市のNPO・まごころネットに相談すれば、大概の事についてサポ
ートしてくれるでしょう と。

さて、日独サマースクールの目的は、専門家や市・町長さんたちの将来計画も
含めて、再生可能エネルギー問題やエコ・シティ計画、津波対策などについて
意見交換 と言われている。

他に、日本版メルヘン街道(グリム童話にちなんだドイツ・メルヘン街道)の提
唱。ルートは、花巻から遠野~釜石~大槌(ひょっこりひょうたん島・蓬莱島)が
構想されており、岩手県立大学の米地文夫名誉教授からのお話を予定。
NPO大槌の風、でも、蓬莱島と日本の裏側のMマーメイド島(ガラバゴス諸島)
を姉妹島にして、被災地のこどもたちとガラバゴスの小学、中学、高校のこども
たちが友好で結ばれる夢のアイデアの実現に向けて関係者に促進しています。

さらに、メンバーは幼稚園や小学校(多分、今回は釜石市が中心)を訪問し、
図書の寄贈と子どもたちとの交流。
学生たちはグループ別に、被災地の方と懇談・インタビューし、それをまとめて
発表する。
同行する日本マッサージ連盟の方が、ボランティアで現地に方々にマッサージ
を施す。とかとか、、、のようです。

これらの事を、森の図書館主宰の佐々木さんに伝え、宮古市と釜石市に挟ま
れた最も被害甚大で復興儘ならない大槌町と、この度の日独サマースクール
メンバーの支援活動と接点がもてないか追求してみます。
さらに、碇川町長と協力関係にある佐々木さんですので、確とした具体的な要
請があれば対応します。
森の図書館にグリム・コレクションを作ることも一案ですね。よろこばれますよ!

MALT'SMermaid(ドタ撮影)


2012年6月6日水曜日

水曜正午会 のことなど

白井T(4・7の会)

6月から活動の拠点を NPO大槌の風 に移したので、都心に出るのは久しぶりだ
ったが、定例食事会、すなわち水曜・正午会に参加した。
長く続く水曜・正午会には、幾多の変遷の歴史がある。
そもそもの発端は、駿河台下にある白水社の近くに洋泉社が移転して来て隣組に
なったことで、友人・白井君(当時、営業部長)と早朝の始業時間前の時間つぶしに
ドトールコーヒーで過ごしていた。そこに、通勤途上の森さん(三省堂書店)と渡辺君
(当時、ミネルヴァ書房東京所長)が加わってにぎやかな朝活になった。
今では、場所は三省堂書店地下のHに移したが、毎週水曜日に参集するメンバー
の顔ぶれが入れ替わり多彩になってきている。
(どうぞ、オープンな昼食会ですので、ご自由に参加ください。)
今日の話題は、年長者が多かったせいか、不用のモノを捨てる技術の披瀝で盛り上
がった。僕も、会社から私物を自宅に持ち帰った直後のことで、思い切った処分に踏
み切る参考にさせてもらった。
さらに、このたびの、トーハントップ人事をめぐっての憶測が乱れ飛んだのであるが、
過日から、近藤社長の動向が業界から洩れていたので、本当なのかな、、、と危惧し
て穏やかでいられなかった。
就任して未だ二年だし、政界の首挿げ替えではあるまいに、中期の展望で応援した
いところ。近藤さんは副社長ということだが、一押ししてきた高見真一氏がこれからの
中枢事業を担う役員で新任されたことが良かったように思える。
近藤さん、まだ若い。踏ん張って飛躍してほしい。
山崎会長、近藤社長は、陣頭で東北の震災書店の復興を早くから親身になって応援
してきた。とりわけ、大槌町の一頁堂書店木村店長からは、その恩義に応じ報いるた
めにも軌道に乗せたい と聞いてきた。

【日々の一口メモ】
6/5(火)*S牧より、「NPO大槌の風」を
        刷り込んだ封筒が届く。支援
        として、ありがたく頂戴する。
       *朝日新聞夕刊(6/4日付)
        を見て、森の図書館へ児童書
        を寄贈したい問い合わせが相
        次ぐ。

2012年6月5日火曜日

6・4朝日新聞夕刊に 大槌の森の図書館が

朝日新聞夕刊(M国吉記者)
大槌町の佐々木格さんが長年かけて築いた石の小屋を、森の図書館として開館
した経緯を報じる記事が全国紙・朝日新聞夕刊に出た。
自宅で整理事などしていたところ、洋泉社の高野、仕事仲間の小澤、友人の白井
君、そして大槌の佐々木さんから、朝日新聞をとっていない僕にたて続けにメール
と電話があった。
5月に大鎚を訪ねたときに、被災したこどもさんが母親に連れられて訪れ、ソファ
ーやじゅうたんのうえで、絵本『ピン・ポン・バス』を楽しみ、130巻揃ったグイン・
サーガ(栗本薫ハヤカワ文庫)に魅入っているお母さんをながめ、5千冊、1万冊と
充実させたいと心して帰ってきたのだった。
国吉記者の佐々木さんのおもいを伝える、「将来を担う子の感受性を育むことが、
老いた私に出来ること」、「戦後の焼け跡のような被災地だが、文化の香りがない
ところに発展はない」 との結びに、同感だ。
この全国紙の記事に共感して、こどもたちに今から永いながい年月を超えて読み
継がれる本が届けられることを願っています。
NPO大槌の風の活動は、やっとその緒に着いたばかりです。

【日々の一口メモ】

6/1(金)*HT行政書士と東京都へ提出書類
の最終確認、了。

6/2(土)*5歳になったばかりの孫が、初めて
生きもの・金魚を飼う。

6/3(日)*息子(ピクト走友会)が横田EKIDEN
に参加するので、応援に出かける。
5㌔×4人レースで7,000人参加の賑わい。
洋泉社社員参加の25年前の立川マラソンを思
い出した。お互いの完走を称えて立川駅前玉河
で飲んだビ-ルは格別だった。

6/4(月)*℡&メール:ドタ、小澤、白井、柳田、
佐々木、国吉、牧、鎌塚、暁、S増田、春、祥


6・3横田EKIDEN


2012年6月3日日曜日

大槌行き・6日目

ひょっこりひょうたん島(5・12撮影)

縁あって、大槌町の吉里吉里(浪板海岸)とひょっこりひょうたん島(蓬莱島)は
数十年前から知っていた。
浪板海岸は50年前に陸中海岸を旅したときに、未来社から刊行されていた『吉
里吉里善兵衛』の吉里吉里が妙に引っかかっていて、電車を途中下車して海岸
で遊んだことが忘れられない。
そして、ひょっこりひょうたん島は、7年前に義娘の家族と波板観光ホテルで初
顔合わせをした時に、御祖母ちゃんが指差したところに真っ赤な燈台が映えて
波間をちゃぷちゃぷ漂うかに見えた。
縁は奇なり で、このたび、この島と地球の裏側ガラバゴスのイタバカ海峡に在
る松をマングローヴに変えたばかりの形、大きさが同じ、ISLOTE MALT’S
MERMALDを姉妹島にしよう という素晴らしいアイディアが、我が友人ドタさん
から浮上しています。
震災で大津波のあった大槌のこどもたちと、人口比でこどもたちが多いガラバ
ゴスと友好が実現されれば夢物語ができます。
この話のとば口にしたいおもいで、大槌町復興町づくりに献身的に取り組んで
いるT阿部さんにお会いした。これからも足をはこぶなかで、少しずつ前進でき
ればいい事案の一つです。
東京に帰って、もう一つの奇遇があった。
ドタさんの紹介で、特定非営利活動法人・ピアサポートネットしぶやの理事長・
Y相川さんに会って大槌町への支援活動の話を聞くことができた。
そもそもは、教育関係の地域ボランティア活動に精力的取組みをしてきた組織
らしく、この震災では、高校生を集団で大槌へ派遣して、労働と被災した同世代
との交流で人と人との絆を深めてきている。
この間の、僕たちの子供たちへの本送り、被災者の聞き取り調査について活動
をしゃべったところ、教育者らしく聞き取りの記録を活字で残す貴重性に強い関
心を持たれた。何らかの形で連携できることを期待したい。


2012年6月2日土曜日

洋泉社・退任慰労会

5・31の会(響にて)
1984年12月1日の北風が吹きぬける早朝 地下鉄神楽坂の階段を駆け上っ
て初出社した日のことが、昨日の事のよう記憶として鮮明に蘇る。
草創期3人で出発した洋泉社であったが、昨日の僕の退任(顧問)慰労会に出
席してくれた社員は30余人に及んでいた。
一番最初からのメンバーは、誰もいなくなって一抹の寂しさを感じるが、30年弱
の歳月が流れ、若い世代に代わって成長する洋泉社をおもうにつけ、良かった
かなとの感慨に浸れる。
僕が阪神タイガースのファンであることに託けて、社員が粋な計らいをしてくれた。
タイガース公認の、背番号1の鳥谷選手(羽村出身)のユニホームを贈ってくれた
のです。
それに、皆が泣かせる寄せ書きをしてくれた。社員一人ひとりが目に焼きつく。

*いろいろありましたがありがとうございます。これからも未だお願いいたします。
*(体調不良で出席が叶いませんが、手紙を書きます と)
*長い間、ほんとうに長い間ありがとうございました。
*洋泉社は永遠です。
*一書入魂。
*これからも山登り楽しんでください。
*いや本当にお世話になりました!
*長い間お世話になりました。
*老猶益々盛。
*入社してからずっとお世話になりました。ありがとうございました。
*朝の会 三ヶ月 楽しかったです。報告が楽しみでした。
*かわいがって頂きありがとうございました。
*実れば実るほど、頭を垂れる稲穂かな。
*私も権力に負けません。
*Carp優勝!!
*藤森さんと石井さんに面接をしてもらったときの恐怖、いまだに覚えています。
こらからのご活躍に期待しています。
*どうもありがとうございました。またお目にかかれる日を楽しみにしています。
お元気で!
*四年前に採って頂いてありがとうございます。洋泉社に入れたことを心から
感謝しています。
*いつか羽村におじゃまさせて下さい。御疲れ様でした。スキューバー私もやり
たいです。
*取次・書店で藤森さんの話がよくでます!自分もそうなれるようにがんばります!!
*反権力!ふじもり(マンガ)がんばれ
*みじかい間ですがお世話になりました。
*藤森さんと出会っていなかったら、今の僕はいません。本当にありがとうござい
ます。
*これからも秘宝読んで下さい。お世話になりました。
*甲子園で一緒に六甲颪を!
*いつか藤森さんの出身地岡山へ行ってみたいと思っています。長い間お疲れ
さまでした。お元気でいてください。
*入ったばかりの私ですが、洋泉社の一員として、早く役に立ちたいです。ありが
とうございました。
*老兵は死なず。只 消え去るのみ これからですよ!
*お話しする機会はほとんどありませんでしたが、これからがんばります。
Go! Fight!Win!
*もっと。もっと存在感のある会社にします。規模より中身です。本当に有難うご
ざいました。

和気藹々の会食のなかで、この間関わってきた3・11津波被災地、大槌町の現
況と 森の図書館への協賛支援についても、きるだけ多くの社員と、写真を見せ
ながら語らった。