| 安渡の仮設住宅集会場 |
<大槌の風>会員のS増田さんの仮設住宅集会場で茶話会を催うすお婆たちへの聞き取りの連載2回目をお届けします。被災地の写真は多く見られるが、傷心を開いて語り合ったものは未だ非常に少ない。
被災の小国ヤスさんたちが入居する仮設住宅は、正門の桜が満開の旧安渡小学校の校庭に施設されていた。
聞き書き・被災地からの風「大槌の風」2 2012.5.9~12
生きるための志しの高さ
翌11日、安渡第二仮設住宅の「生協ふれあいサロン」では、十数人の女性の方方が生協の職員の指導のもとでストレッチ体操をし、弁護士による財産にかんする話を聞いていた。このサロンでは生協の方のご協力で電気炊飯器を借りて「五穀米」を炊いて、みんなで試食しながら話を聞こうと思っていた。今回、現地でお会いした方に手みやげ変わりの持参したのは、「五穀米」と称する米に雑穀四種類の入った穀類と、エゴマ製品であった。
安渡第二仮設住宅にある電気炊飯器は初めて使うものだということであったが、「五穀米」はうまく炊けており、さて、椀に盛るか、おにぎりにするかと思ったら、椀もなく、サランラップもない。ある人の発案で、お茶用の紙コップで食べようということになり、箸と思ったら、これもない状態。「ツマ楊枝があるから、それで食べよう」という。たて長の紙コップに入れた五穀飯を短いツマ楊枝で食べる! 私のうちなる心は「うーん」とうなるばかりであったが、7人ほどの住民の方たちは食べ始めている。「現地に入ったら、現地に倣え」というフィールドを仕事にするものの鉄則を思い出し、私も食べ始めた。近所の方の家で炒って磨ってもらったエゴマをかけ、エゴマの葉っぱ味噌をオカズにして。
この小さな私にとっての体験は「あるものはなんでも利用する」「できることはなんでもしてもみる」精神の強さは、仮設住宅に住む人たちには日常茶飯事であったに違いない。この人たちの全身には「生きることに文句があろうはずがない」世界があったように思った。
しかし、それだけでは終わらなかった。「五穀米」の飯のオカズにした「エゴマの葉っぱ」をみんながおいしい、といい、小瓶入りの葉っぱ味噌が「もっと、ないの」という。辛みを帯びたこの味噌は雑穀の飯によん合うのである。持参していた「エゴマの葉っぱ味噌」とやはりエゴマのドレッシングを差し出した。もともと、エゴマ食品も五穀米も義捐金で購入して持参したものである。私は差し上げるつもりであったが、人数分がないため、迷っていた。それぞれほしい人が「大丈夫、買うから」と買ってくれた。そのとき、思いもしない声が飛んできた「そうよ、買うべきよ。もう、なんでももらう時期は過ぎたからね」前日、私を誘ってくれた小国ヤスさん(昭和6年生まれ)の力強い声であった。被災した時からの暮らしの一端が見えるようであった。こうして1年2カ月が過ぎた今、支援を受けるのでなく、自分たちの足で立つ意識の表明であった。小国さんの言葉を聞いて、なにげなくソッポを向いたのは涙がこぼれ落ちそうだったからだ。「この誇り高い言葉! こんなに強く、生きられるのか」。
しかし、それだけでは終わらなかった。「五穀米」の飯のオカズにした「エゴマの葉っぱ」をみんながおいしい、といい、小瓶入りの葉っぱ味噌が「もっと、ないの」という。辛みを帯びたこの味噌は雑穀の飯によん合うのである。持参していた「エゴマの葉っぱ味噌」とやはりエゴマのドレッシングを差し出した。もともと、エゴマ食品も五穀米も義捐金で購入して持参したものである。私は差し上げるつもりであったが、人数分がないため、迷っていた。それぞれほしい人が「大丈夫、買うから」と買ってくれた。そのとき、思いもしない声が飛んできた「そうよ、買うべきよ。もう、なんでももらう時期は過ぎたからね」前日、私を誘ってくれた小国ヤスさん(昭和6年生まれ)の力強い声であった。被災した時からの暮らしの一端が見えるようであった。こうして1年2カ月が過ぎた今、支援を受けるのでなく、自分たちの足で立つ意識の表明であった。小国さんの言葉を聞いて、なにげなくソッポを向いたのは涙がこぼれ落ちそうだったからだ。「この誇り高い言葉! こんなに強く、生きられるのか」。
(S増田・記)
0 件のコメント:
コメントを投稿