とにかく、短距離走と画を描くことに長けていたと、祖母が自慢する子だったと
いう。
小学校のときは、一クラス男女合わせて18人前後の、36の瞳というような仲
良し学級で過ごした。
秋の運動会ともなると、徒競走と部落対抗リレーの代表に選ばれるのは当たり前
という意識で、前夜から興奮して寝付かれなかった(笑)。
絵に目覚めたのは、親父が藤村富男選手(背番号10の初代ミスタータイガース)
の豪快なバッティング立姿をクレヨンで素描してくれたのがきっかけでした。
コンクールで入賞して、廊下にかかげられ調子にのり或るレベルまでいきました。
御袋は、僕が小学校へ入学する前に結核を患い、里帰りして療養生活に入ってい
たので、一緒に生活した記憶がきれぎれにしかよみがえらない。ほとんど、祖母
に育てられたようなものです。
1959年、東京に出てくるようになったときも、衣類一式をそろえ、なかには
手作りの物も仕立て「行李」につめて送ってくれた。
物を持ち過ぎなので整理し始めているが、その想い出のある柳行李は未だに捨て
きれず、数百通の手紙と共に屋根裏部屋に在る。

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