2016年1月17日日曜日

中島敦『南洋通信』から    1257

書影
中島敦は、昭和16年(2041)6月に南洋庁国語教科書編集書記としてパラオ
島へ単身赴任している。
ぼくの父も、昭和17年に南洋庁小学校教員としてサイパン島に単身赴任して
います。

中島敦が南洋庁行の主たる目的は、自分の喘息を南洋の自然環境のなかで
癒すことであったが、あまり効果があらわれない様子をたびたび綴っている。
ただ南洋の明るい風光が精神の高揚をもたらっしたことは確かで、二人の子
どもや奥さん宛の手紙や絵葉書でわかる。

さて、昭和16年はどんな世情だったのか。
この年6月23日に、船で暑い所に行って来ます、と手紙に記し「サイパン丸」
で横浜港から発ち、途中7月2日にサイパン・ガラパン町に「一寸上陸」してい
る。(当時の日本からサイパン島への船の渡航は、10日を要したことになる。)
住まいの話、食べ物のこと、雨季の気候の話、南十字星が見える星空、現地の
子供たち(「土人の児」といっているが、、)について、椰子だの、パパイヤだの、
パンの実だの、バナナだのが一杯なっている様子、部屋のすぐ外に茂る熱帯
樹花と、その向こうに海が広がる景観を、本郷の自宅を想いながら、中島たか
宛に書き送っている。
国際情勢の逼迫と、群島の食糧問題のどうにもならぬ状況を憂いながら、一下
級官吏には如何ともし難いことと、あきらめの境地になっている。
(→続く次回、近日中に。)

(←ブログ:2015・9・15 「中島敦『山月記』」1133)

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