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| 書影(二月社/1975年1月・刊) |
秩父は昔から養蚕の盛んな土地ながら、その時、今言うデフレスパイラルで農産
物の物価が下落して、農民の暮らしは困窮を極めていた。
この「困民党」への参加主体は、「秩父暴徒」と云う名で伝承されてきたが、信州
佐久からも参謀長菊池貫平や軍用金方井出為吉らの組織化に当たった有能な
人が参戦していた。
信州佐久の村役人であったり、代言人(弁護士)を務めていた今云うところの知識
人が、自由民権運動の「激化」する初期段階から関わっていたことがわかる。
短期間の「秩父騒動」が秩父に敗退して、困民党総理で秩父大宮郷の侠客田代
栄助や同じく秩父での副総理加藤織平は捕まる。
敗れた後の菊池貫平以下百数十人の農民軍は、新たな参加者を糾合しつつ、
十石峠標高1400mを踏破して自分の故郷佐久の地に「長征」しようとする。
その日、峠には寒風が吹き荒び、舞う雪は農民軍兵士たちを凍えさせたと、、。
秩父農民と佐久農民との間には、以前から濃密な連絡・交通があったことを想
像豊にさせてくれる。
十数年前に、クルマで十国峠越えをしたことがあるが、頂上近くで鋭い砂利石が
タイヤに刺さり、交換するのに往生した経験があります。
また、この峠の佐久側は八ヶ岳南稜で、先月訪ねたモリ山荘が白樺のなかに佇
む地理関係にある。
一冊の本の記憶は奥深い広がりがある!

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