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| 書影 |
1944年2月23日マリアナ諸島は米艦上機による空襲を受ける。
この日、応戦した日本軍機は壊滅させられてしまった。空中戦を予想していた一
般の人は、上空敵機の悠々独り舞台から、軍防備施設が次々と破壊していく様を
見るしかなかったと語る。
大本営によって、慌ててマリアナ増援計画が実施され、広島宇品港を3艘の輸送
船が出港するが、出港四日目に主艦一艘が潜水艦の魚雷攻撃で沈没してしまう。
さらに、名古屋の師団を乗せた第二次輸送艦隊は、7艘中、5艘が魚雷攻撃で撃
沈され兵員、兵器、機材の過半を失ってしまった。
(未だ、マリアナ諸島への海路に要する時間は延々とかかった。)
この当時、サイパンには日本人が3万人弱、チャモロ人ら島民が4千人弱居た。
そして、2月23日のサイパン空襲後、マリアナ地区の一般婦女子と教育者、60
歳以上の老人を強制的に内地へ送還することになった。
「引き上げ船は米軍上陸までに合計3艘が日本に向かった。しかし、このうち2艘
が米潜水艦に撃沈されて乗船の大半が死亡、以後本土引き上げは中止された。」
米軍の上陸は、6月15日の早暁からの激しい艦砲射撃に始まり、上陸用舟艇群
がチャランカノアの海岸に突進上陸した。
(「太平洋の奇跡」など、映画でよく見せられるシーン)
55年前の6・15安保闘争、其処から遡ること16年前の6月15日です。
戦後70年、何かが符合する忘れられない記憶です。
チャッチャ尋常小学校の教師で赴任していた父は、日本に帰港できた最後の引
き上げ船に乗船していました。

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