| 映画「日本の夜と霧」 |
過日、大島渚の訃報に接し、今日、葬儀がいとなまれた。
第一次安保闘争が終焉した1960年に、「愛と希望の街」、「青春残酷物語」を観
て、それまでの映画にないメッセージ性(力)による同時代感覚に興奮させられた
ものです。
「青春残酷物語」を評して日本のヌーベルバーグという名を与えられ、大島監督は
一気に注目される映画作家になった。
続けて、1960年10月9日封切りの安保闘争総括の<政治デスカッション>映画
「日本の夜と霧」は12日上映中止されました。
一気に注目される映画作家になった。
続けて、1960年10月9日封切りの安保闘争総括の<政治デスカッション>映画
「日本の夜と霧」は12日上映中止されました。
僕はこの映画を新宿松竹で観ました! この後が、異常事態になりました。
12日は社会党委員長浅沼稲次郎が刺殺されて日でもあった。
4日間だけの上映で、興行的に不振であったことを繰り返えされても、大島さんは
納得できるはずもなく、映画批評家、ジャーナリストが再上映要求や再上映運動も
続けられたがフィルムは倉庫に眠ったままにされたのを知っています。
大島さんの映画への姿勢は、一貫して権力、階級社会への異議申し立てであった
だろうと思っています。それは、以後の映画作品において、時代の複雑な推移とと
もに映画創りのなかにおのれを発見していくという映画監督として苦闘の行動に表
れています。
もに映画創りのなかにおのれを発見していくという映画監督として苦闘の行動に表
れています。
大島渚監督を悼む。
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