僕が上京した1960年代の初めごろは、たばこをわれ先を競って嗜む風潮でし
た。自分自身は、親父のトラウマがあって二十歳過ぎまでは酒もたばこも遣らな
かったが、煙草のほうはその後喫煙するようになった。
当時、議論が沸騰して、濛々と煙が立ち込める部屋のなかにあっては、美味しく
感じるでもないのに、吹かすことで事が進んでいる気分になったものです。
吸いつづけるうちに、美味さを嗜好するようになって60歳過ぎまで、間断なく
一日20本から40本は吸っていた。
ずっとずっと、軽めの「キャスターマイルド」オンリーワンだったので止めよう
と思えば自分の意志でいつでもヤメラレルと内心では思っていた。だが酒席での
手持ち用必備であったことと、健康など弊害説に竿差ししたい気持ちという、然
したる理由もなく惰性喫煙だった。
それが、14年前の母の死によって煙草とは全く無縁になった。
葬儀を終えて倉敷から東京に帰ってくる新幹線で、息切れするほど咳き込み苦し
みました。その背景は、母の急死の知らせで駆けつけた通夜からずっとチェーン
スモーカで急性ニコチン中毒の症状があったことによる。
「お母さんがタバコを止めてみたら、と言付かも」のyuの一言で、決断した。
さて、世の中はなんでもグループ分けして特定の部分を排除する思考がある。
吸う吸わないは、身体論的に自由であっていいわけで、分煙と飲食店はエリア分
けなどで対応すればいいことだと思う。

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