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| 書影 |
明15日に、日ロ首脳会談が山口県長門市で開かれる。
思い出されるのは、第二次世界大戦後の(旧)ソ連によるシベリア抑留のことで、
石原吉郎が敗戦の1945年にソ連内務省軍隊によって連行されて、哈爾濱郊外
経由でソ連領に運ばれる。シベリア抑留という苦難の始まりである。
詩人・石原吉郎がシベリア強制収容所いわゆるラーゲリでの極限状況を経験し、
1953年のスターリン死去にともなう特赦でようやく、ナホトカから真鶴へ帰国を
果たす。
本書は、帰国後数年して衝撃的な詩を次々に発表し、1964年には、第一詩集、
『サンチョ・パンサの帰郷』によってH氏賞を受賞するなど、戦後の詩壇に特異な
地歩を築くに至る。さらに、ラーゲリ体験を「証言者」としての立場からエッセイで
語り始める。石原の1973年に刊行された『望郷の海』のころ、清水昶から「石原
は誰も経験できない極限状態を生き抜いた存在であり、自分の想像力を越える
遥か向こうにある」と聞く。
惹きつけてやまない何かを熱く追い求めていたように思う。
最近になって、なぜこれほどまで石原吉郎に関心が向くのだろう。
中島敦がそうであったように、彼らが1940年前後に、「満州国」や植民地南洋
諸島に行っているとき、親父もサイパン島に行っていることが通底しているのは
間違いない。
とはいっても、親父はなにもサイパンで生死の極限をくぐり抜けて帰国したわけ
ではない。
(←ブログ:2016・9・29 「石原吉郎と哈爾濱特務機関」1512)
(←ブログ:2016・10・2 「終わりの始まり」1515)

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