また、喪中の挨拶状が届いた。
夫・靖生が八十三歳で他界いたしました、と奥方からの文面でした。
1960年後半に度々び原稿を貰いに国分寺駅に降りていた。
そして、三年あまりをかけて念願の主著、『言語学批判と共産主義』を刊行する
ことができました。(1971年11月刊)
著者が京都大学文学部言語学科の卒業論文製作のためにテーマにしていた言
語観を、その後徹底的に再考し直すなかで独自に概念化した「言語体」を表出
する時期でした。
梯明秀の諸労作を手引きにして、「経哲草稿」や「ド・イデ」をして生産的労働に
関してだけでなく、資本主義社会の言語生活全体を支配する考えを示したところ
が一部の人に注目され始めていた。
「言語活動」については、ソシュールや時枝誠記らの言語学者によって概念的に
は明らかにされているが、、。
当時、吉本言語論の「自己表出」と「指示表出」や、三浦の「言語図式」や、中井
正一「委員会の論理」など注目されていた。それらを評価する一方で、陥穽、ほこ
ろびを旺盛に批判する立場をとっていた。
出会いは、「芸術国家論集」同人仲間の門倉、田中、辻野たちとの編集会議でし
た。他に中村宏さんや織田達郎さんが同人の周辺にいました。
大久保さんは在野の言語学者でしたが、志は一貫して持続され変わらなかった
ったと思います。訃報に接して僕が残念に思うのは、後半長く直接お会いして課
題にされていた「言語共産学」による「超小説」の完成を聞くことなく、空白の時間
をつくったままであることです。 合掌。

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