サイパンと父のことを、この数年さぐり探りしながら接近を試みているものの、影
の部分(謎)は未だ見えてこない。
大正初頭生まれの父は、7歳の時に父親を亡くしている。母親ひとり子ひとりの
なかで育ち、戦前、軍国少年だったと思っている。その延長で師範学校に入り、
僕が生まれて間もない時に、自ら望んで教師としてサイパンへ渡っているわけ
で、ナショナリストであったのだろう。
それは、長男である僕を「建二」と名づけたことから素朴に想像するところです。
昭和15年(1940年)、紀元「建国」2600年です。友人に「基」君がいますが、
やはり同じ傾向のはずです。
オヤジも祖父に続いて早く他界したので、戦前戦中を語り下ろしできないまま
終わっています。
オヤジとの戦後のわずかな期間の生活のなかで、感じ取っていることがありま
す。
町の本屋さん(津山市の柿木書店、久保書店)にバスで出かけては、サイパン
の戦記本と江藤淳や大江健三郎らのエッセイ、小説本を購入し、しきりに」読
んでいた姿を鮮明に覚えています。
ほかに、毎年8月6日にはニュースのヒロシマ平和祈念式典を見ながら、ある
いは外に出て空を仰ぎ黙とうをする姿がありました。
思うに、オヤジはナショナリストから左翼転向もしなかったが、虚無感漂う個人
主義に徹していったように思う。(→つづく)
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