2017年10月5日木曜日

中島敦と親父            1884

教師の家と水槽(影:Pen)
親父がサイパンを目指した同じ時期、昭和16年(1941年)に南洋庁の官吏
(国語編修書記)として、サイパン島経由でパラオに赴任した中島敦(32歳)は
持病のぜん息を南洋の島で治癒したいとの思いもあったようだ。

ところが、いたって健康体であったはずの父は、日本が「大東亜共栄圏構想」で
南に向かうエネルギーにわきたっているとき、それに同調して熱風にあてられて
しまったのだろうか、と思ったりする。
母が生前に語ってくれたわずかな、教え子たちの様子と食生活の一端を、写真や
冊子などから推理してみるばかりである。
住んでいたのは学校に隣接する所に、高床式トタン屋根の戸建てを与えられてい
た。庭にはサイロの様なコンクリート製タンクが設置され、屋根で受けた雨水を
溜めて飲料水や生活用水としていたようです。

(←ブログ:2017・10・4 「サイパン島の古地図や資料から」1883)

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