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| (2015・3・27影:Tab) |
みな元気!
その中学校の周辺事情を記すと、、、。
僕は、中学二年の夏、二学期に津山市の奥から、倉敷市に編入合併(2005年)
された船穂町に転居しました。
学校へは一山越えて通学する辺境の集落の湖畔に家がありました。小学校だけ
が分校になっており、両親はその学校の先生でした。
この柳井原小学校は家と近所だったので、卓球をしたり鉄棒にぶら下がったり、
遊び場にしていた。
学校がある場所が、松林の里山で常録だったように思う。山を囲むように高梁川
の支流(小田川)が、堰になって豊富な清水をたたえていた。今は高品質の金時
人参や大根を栽培しているようですが、当時は、ぶどう、もも、なし、スイカが豊に
丘に稔る牧歌的な素晴らしい郷でした。
今の教育現場からすれば禁止事項なのでしょぷが、親の特権で野菜に果物は満
載いただきました。
現在も、父親作詞作曲の「柳井原音頭」が運動会やお花見時期になると唱和され
ているという。

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