2012年12月4日火曜日

高村薫の『冷血』



1965年に刊行されたトルーマン・カポーティの『冷血』を読んでから45年経つが、
この度、高村薫の同名で小説『冷血』が出版された。
高村薫「冷血」は週刊誌連載中に好んで読んでいたが、まとまると上巻、下巻2冊
の大冊になるとは思わなかった。前者は実際にあった殺人事件のノンフィクション
ノベルだが、本書は歯科医親子姉弟家族4人を行き当たりばったりに惨殺してし
まう人間の闇の世界を小説にした作品と言える。

週刊誌で「冷血」の連載予告が出たときすぐさま、カポーティの『冷血』をおもい出
し、高村の新作に期待した。
小説のプロローグはネットで知り合った二人が金のありそうな家をターゲットに押
し入り、誰も居ないと思っていた家族と鉢合わせしてしまい惨殺におよぶ。あまり
にも出鱈目な計画で多数の痕跡を残し、クリスマス前夜の事件発生から正月開け
には捕まってしまう。
このあたりまでは、不気味さを漂わせながらスピード感一杯の展開に頁を追いたく
なる。
小説の本筋は、殺人の動機をを解く所にあるのだが、並みのサスペンスの謎解き
のように創られていない。
カポーティの『冷血』にインスパイアされているのは間違いないし、ドストエフスキー
の『悪霊』などももおさえられ、テーマの迫力で一杯なのだが、高村薫の社会に対
する思慮深い思考が好きな僕にとっては、物足りない終章で終っているように思え
る。さまざまな角度から「動機」に迫ろうとするが、真実に到達できないもどかしさ。
この異化作用が好いのかも知れない、、、。
現代社会(法治国家)において殺人は、あらゆる法、規範を動員して何がなんでも
動機を確定させ刑を執行するように仕組まれている。
このコトへの観念的不快感、肉体的違和感が、合田(『照柿』などにも登場)を通じ
て、ネット社会の単純な言葉で何か解決できた気になる、勘違いしている風潮にあ
るのではないかと。
小説家高村薫の言葉への挑戦で、殺人者の「動機」を他者が言葉でどこまで表出
できるか、阪神大震災を体験して、(「サンデー毎日」連載)、3・11大震災を経て、
(『冷血』刊)、助かった人と、助からなかった人の差はどこにあるのか、と不条理を
追求し続ける意味で同じ行為の持続なのだ。

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