2018年4月30日月曜日

アメリカの空気とアメリカ植民地主義 2091

津山市からさらに中国山地よりに入った田舎から倉敷へ中学の時に転校して、映画
館も増えた。親とも行ったがひとりでよく出かけた。

当時好きだったのは、西部劇とフランスのフイルム・ノアール(「現金に手を出す
な」「男の争い」など)。
それが中学3年のときに、ジェームズ・デーン主演の「エデンの東」に続き「理由
なき反抗」(1955年製作)が公開されて、スクリーンに映し出された目新しい
アメリカの生活文化に衝撃を受けた。
キャンパスで着ているものの自由さ加減や車庫からクルマを持ち出し乗り回す「豊
か」な社会環境が、若者たちのチキンゲームの筋立てよりも、15歳頃のぼくには
驚きだった。

倉敷の児島市(旧)は、日本有数の学生服織物製造産地として伝統があるが、高度
成長期を前にジーンズ(デニム)造りに特化して、今では世界最先端を行くまでに
成長している。

映画で強烈だったのは、ブルージーンズのジミーの格好だった。
アンソニーパーキンスファンだった母親だったことも幸いしたのか、リーバイス製
ではなかったが、児島製品の横文字刺繍入り1本を選び出し買ってくれた。
なんとも言えない満足感があった。朝鮮戦争さなかのことです。

それから途切れることなく、ぼくはブルジンを買い足し履き続けている。
ところが、20代の時分に一切ジーンズに見向きしないひとがいたが、これは意志
的にアメリカからの輸入文化を忌み嫌う現れだったのだろうか。
昨年、倉敷に帰郷したとき、弟の案内で小島のGパン発祥のメッカ・ジーンズスト
リートへ。さっそく、「桃太郎jeans'」の鮮やかなブルーのストレッチの効いた、
ジーンズを買った。もう、アメリカの空気からは遠い。

(←ブログ:2017・5・13 「ジーパンメッカのジーンズストリートへ」1740)


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