(←3407は先月2月17日補記)
| 「春の桜は見られないだろうと覚悟した」 |
「文藝春秋」四月特別号掲載の 、石原慎太郎「死への道程」を読む。
もはや戦後ではない?<実感>の文学『太陽の季節』が芥川賞に選ばれたこの
年、昭和31(1956)年、太陽族なる若者風俗がパッと現れた。
そのとき、僕は中学3年生。それ以来、彼の文学表現の卑猥な言葉を辞書で引
いては興奮し、政治的なるものの発言には反発したり、ずっと気になる存在で
ありつづけた。
僕は学生時代に埴谷雄高や武田泰淳、野間宏、大岡昇平ら戦後派の文学に傾倒
するようになってからは、石原慎太郎の「文学を徒らな観念の設定で考えるよ
うなことは決してやりたくない。~左翼文学とアバンギャルドがどれだけほえ
合っても、広範な人間をとらえる何ものも出てこまいということを僕らは理屈
よりも実感で一層強く感じる」、と主張するにいたって、強い異議をとなえた
ものです。
石原慎太郎は、学生作家として社会に良識を揺さぶる大きな衝撃をもって受け
止められた当時の感性を、生涯もちつづけたことは間違いないと思っている。
自民党の国会議員になり、都知事出馬や総裁選立候補、はては突然の議員辞職
と、その後もスタンスは変わらなかったし、極右的言辞も多々あった、、。
絶筆では、文学の主題でもあった「死」を究極の接近として、痛々しいほどの
置換を試みている。
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