2022年3月8日火曜日

世界の片隅で ウクライナの悲劇   3401


これまで、このBlogで1940(昭和15)年から、敗戦までの概略年表を作成
してきた。(現在、1944・8月まで継続中)

この期間は、僕の生誕から5歳までのことであるとともに、父良太が昭和16
年にサイパンへ教師(訓導)で赴任し、サイパン島がアメリカ軍によって陥落
する直前に帰国するまでの戦時中と重なる。
ほとんど記憶にない時期のことを、時系列の年表でたどることで親父の生き様
を追体験する試みといえなくもない。

前ぶりはさておいて、いま記したかったのはロシア軍によるウクライナの戦禍
に触れてのことである。
太平洋戦争で米軍による日本本土への空襲が初めてあったのは1942年4月
18日。航空母艦発進の16機が東京、横浜、名古屋、神戸を初空襲。発火性の
薬剤を詰めた爆弾の雨が降りそそいだという。その後、軍事施設の破壊だけで
なく、市街地を狙った爆弾で数十万人が犠牲になったとされる。
この記録に残る戦火から77年。
ウクライナの街並みが、砲弾やミサイル空爆で崩れ落ちている光景や逃げ惑う
民衆を見せつけられるリアルタイムに、この世の片隅にいることが不条理だ。

(←ブログ:2021・9・6 「敗戦まで戦中5年 年表抄⑥」3317) 

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