2019年12月15日日曜日

1960年は氷川公園結集だったが、、散歩④2686

東京23区内には名前ある坂が800ヵ所以上あるという。
江戸の街の成り立ちからして、丘陵地と低地の間に都市がつくられたため、江
戸・東京には多くの坂が形成された。
そして低地側の下町は町人地、高台側の山の手は武家地となり、さらにそれが
下町の商業地と山の手の住宅地として現在まで引き継がれている。

今回散策した赤坂にある坂も高台へと至る急勾配の息切れする道が多かった。
弾正坂→紀伊殿上屋敷(現赤坂御用地)門前の坂を紀国坂
牛鳴坂:赤坂から青山に抜ける厚木道で路面が悪く車を引く牛が苦しんだため
名づけられた。
続いて薬研坂:中央がくぼみ両側に高い形が薬を砕く「薬研」に似ているので
名づけられた。この地に日本コロンビア本社があった頃からコロンビア坂とも。
円通寺坂:この坂上南側に移転した円通寺の名称をとった坂。
本(元)氷川坂:坂途中の東側に本氷川明神があって坂の名になる。
氷川神社(江戸時代は氷川大明神)社殿は安政の大地震、関東大震災、東京大
空襲を奇跡的に乗り越え、当時の木造建築のまま現存している。
氷川坂:氷川神社のもと正面に当たる坂。

坂だけを訪ねたのではなく、その周辺をあちこち探索するのが楽しかった。

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