『新宿・でん八物語』(仮題)編集委員・竹村Yさんの寄稿から──36
「でん八」に入学したのは忘れもしない信州山奥の美麻村から上京して間もな
い春先です。入学式の日のことはよく覚えているよ。田舎から一気に東京の喧騒
のなかに投げ込まれて、何もかもが刺激的で高揚した気分だった。
この時代に初めて「でん八」の店主・マツオ兄弟に会った。創業から半年ほど経っ
た頃です。
池袋雑司が谷に住み始めたばかりで、何故だか新宿に惹かれて明治通りのト
ロリーバスに乗って往復していた。とある情報から、三越裏路地にあった「でん八」
に行ったのがきっかけです。新宿に出ては、映画館やジャズ喫茶に入り浸ってい
た時、ちょっと一杯と食事のつもりで立ち寄ったのが「でん八」だった。
カウンターには様々な人種が集まっていたが、アニキ、アキちゃん兄弟は優しく接
してくれました。
それから「そのに」が新規オープンする頃には、日常生活に馴染んできて、朝方
白けるまで飲み、そのまま会社に行くこともあったよ。「でん八」通いに慣れてくる
と、サンコウチョウ交差点の所にあった「どじょうや」にハシゴするようになり、初め
て強い泡盛の古酒を日本酒を飲む勢い呑み、ダウンしたこともあった。
また、その近くにあった飲んで踊れる深夜スナック「コメディアン」にも通い、アニキ
とも行ったことがある。とにかく「でん八」で、宵の口からおでんを夕食か、つまみ代
わりにしこたま飲んで、次の店が中継ぎ、仕上げのローテーションと云う具合であ
った。
そのなかで色んな人間模様を見てきた。歌手仲間の色恋沙汰、麻雀・将棋の賭
けごと、編集取材やカメラマン現場の裏話、本の流通・返品をめぐって…それぞれ
に得意分野の人が溢れていたナー。田舎出の小僧の成長過程は、「でん八」に有
り、と言って過言でない。
「でん八」が発展し、「そのに」、歌舞伎町「その三」ができて、常連の一部はそれ
ぞれ好みで行き先も違ってきたように思う。
今は亡きアニキが最後に居た「その三」には、40余年来のお馴染みさんから、新
世代の学者、芸能人、マスコミ関係者、学生などが「常連」になって行くのにいささ
か驚きもした。だが、新旧の常連に微妙なバランスで接するアニキに敬服するばか
りだった。
実は私は、ここ数年大病を患い入退院をくり返し、今自宅療養の身です。以前は
週末になると「その三」のカウンター奥を指定席に座していた。
未だ、ここ一番奮起して、卒業証書をもらうまで通わなければならない!?
竹村Y(前・河出興産)

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