田中M&Nさんから『新宿 でん八物語』(仮)への寄稿──21
大学の同級生に新宿高校出のタニモトというのがいて、互いに普通は卒業する
年に大学に入ったこともあって気が合い、高校の時から熟知する新宿を連れ回っ
てくれたのが「でん八」とのきっかけです。いつもはゴールデン街の「淵」でいちば
ん安いウオッカをちびちびやっていたので、やや高めの「でん八・その三」(歌舞伎
町店)にはたまたまでしたが、常連客が多く騒ぐ若い客が来ないのがなによりでし
た。「そのに」はアキさん、ちゅうさんが居て、ちゅうさんは気風の良さと歌のプロぶ
りを見せます。そうこうするうち僕らの結婚式の二次会を頼んだら、休みにもかか
わらず使わせてくれました。
「そのに」からスナック「ちゅう」までで出会ったのは、ネモトさん、オサダさん、芸
大系のNHKのポスターを描いた××さん、スミダさん、酔っぱらった時だけ知り合
いになっる、、さん、「上海外灘」を潰した、奥さんが「フィリピーナだって言われる
の」と言っていたタケさん、地井武男似のオギさん、ツンちゃん、アケミちゃん、ツチ
クラ夫婦、トモノ夫婦、フルカワ夫婦、ユタカちゃん、シンちゃん、フクちゃん、一番
若かったニシやん、風貌より実年齢がかなり若かった**さん。(すみません名前
が~)
「でん八・その三」に戻って、社長、アキさんとも 隣に座ったらずっと話し始め、
他客の注文に動じない、いや動かないんです。また社長が従業員に仕事を作るた
めと言って、タバコを吸っては床へ落としていたのを見て、社長の権限やら仕事と
はなんなんだとか考えたものでした。そんな時の話は、戦後トヨタに誘われても、こ
んなに大きくなるとは思わず断ったとか、戦中、出征まえの若い学生だったので男
が国内にほとんどいない銃後の妻や未亡人に、とてもいい思いをさせてもらったと
か。
ほかに、いつも新聞を読んでいた「ヒゲの板さん」、その後のかなりお年を召され
た「板さん」、この方は、社長も同じですが、保険かなにかの新聞広告に大きなモ
デルとして出演されていました。あと、ミャンマーに変わって帰れなくなった「ビルマ
のフロアーさん」、コージくん、社長と同じリーゼントの息子さん。
「銀座傳八」では「でん八」のころからいろいろ気づかってくれたフナコシさん、ミ
ヤヒラさん、沖縄の二人がここを盛り上げて以来、沖縄メニューも気に入ってまし
た。それと仙台一校の板さん、揚げ物の「小さい料理人さん。
あと、「青山・傳八」開店の時、妻が木だけの椅子でクッションがないとブーブー
言ったところ、アキさんが、「銀座・傳八」ではなんとかするからと言ったのになん
とかならず、その代わり妻だけにはいつも座布団が二枚出るようになりました。
ちょっとだけの話。
田中M&N

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