2014年2月12日水曜日

手塚和男さんと「でん八」

マチカさんから『新宿・でん八物語』(仮)への寄稿──24


 「でん八」五十周年の歴史を語れば、あとで登場してきますが、今は亡き手塚
和男さんのことを書かねば語れません。文を書くのが非常に苦手な私に書けるの
でしょうか? 私にとっては約四十年ほど振り返り、よく思い出しながら何とか前
に進めて行きたいと思います。

 さて、私は本名は××マチカ、芸名MACHIKAと申します。大阪で歌っていたと
ころをスカウトされましたが、「東京で勝負したいんです。」と言ったら「解ったっ!」
と言って、一枚の名刺を頂きました。そして上京したのは1971年19歳の時でし
た。知り合いは誰一人居ず、母からもらった5万円を握りしめて、新幹線「こだま」
に飛び乗っていました。着いたものの右も左もわからず大きな荷物を持って、銀座
・新宿・上野と電車に乗ったり下りたり、歩き続けましたが、結局、上野駅近くの公
園のベンチに紐で片足をくくりつけ、野宿を経験。二、三日目には、代々木公園に
お世話になり、これ以上は一人でプロダクションを探すのは無理と判断し、やっと
名刺のことを思い出し、電話しました。「ハイもしもし、<エトアール・アーティスト>
です。」「えらいハイカラな名前の事務所やなァ」と思いつつ、「今、大阪から着いた
マチカですが、、、。」、この先長いので省略します。

 最初に「でん八」に連れて行かれたのは三越裏でした。必死で大人びた振りをし
ていましたが、あの暖かい「おでん」と「熱燗」を目の前にしたときに「ドッカーン」と
頭を殴られたような衝撃を受け、もう涙が止まらなくなって、大声を上げて泣きつ
づけていました。「てーさん、なにか言ったの?」って、お客さまにまで心配してもら
いました。手塚さんも、あんなにビックリしたことはないと言っていました。それから
アキさんが居た「中華Bar・でん八」とでも言っておきましょうね。焼きそばがおいし
くてよく食べて、アキちゃんともその頃はだるま水割りを飲みましたよね。いつもや
さしい顔で、人気者でした。

 それから半年、また私ごとですが、あることがきっかけで、読売TV番組のプロも
アマも出場できる「全日本歌謡選手権」十週勝ち抜きチャンピオン(26代目)にな
りました。あの大スター八代亜紀ちゃんと同期です。レコードデビューもしましたが、
あまりレコードは売れませんでした。それでも日本中どこへ行っても、声をかけられ
て応援してもらいました。感謝しています。
 新宿の仕事場は多くて、クラブリー・ムーランルージュ・ルィード・ムーラン・ドール
・スカーレット他と忙しい日々、打ち上げは必ず「新宿でん八」でした。おやじさんと
の会話はあまりにも多く、書ききれませんが、1974年長島引退の年、手塚さんは
大ファンで、立教大の先輩でもあり、ショックで浴びるように酒飲んでいました。お
やじさんも頭にきて、出入り禁止も何度かあったようです。私は横目で見ながら「で
ん八」といえば鰯でしょう!つみれ汁をよく頂きました。

 板前さん、スタッフの皆さん、これからも頑張ってください。
 もっと伝えたかったのに、、、感謝、ありがとう。
                                    m飛柿(歌手)

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