もう50年たちましたか! 早いものですね。「でん八」は私にとって青春の一通
過点でした。あの頃が懐かしいです。色々の事が走馬灯のように想い出されます。
アキさんに初めて会ったのは、私が大学四年の頃、花園神社のそばで、屋台を
出していて、たまたま通りすがりに寄ったのが縁で何か馬が合ったのでしょうね。
私が社会人になってから、アキさんに「今度内店をもつから飲みにこないか」と。
あの狭い急な階段を上って細長いカウンター、おでんの釜だけ、あとは何もなし。
月に二回ぐらい飲みに行ったのかな。料理はおでん以外覚えていません。冗談の
つもりで「松茸はあるかな?」と言ったら、次の時に用意してあるのには驚きました
ね。なんとか勘定は払えたようです。
あの頃、ロカビリーが流行っていて、近くにロカビリーの店?があって、スパイダ
ースのメンバーや尾藤イサオなどが飲みに来ていましたね。その頃東京オリンピ
ックがあり、オリンピック一色で盛り上がっていましたよ。
店で覚えいるのが、初めての頃、若い威勢のいい板前さんがいたなあ、すぐや
めたような気がする。あとは、毎日「でん八」の二階を事務所のように使って、飲ん
でいた人がいましたね、大きな声の人、名前は忘れましたが。その頃でしょうか、
日本の経済もどんどん良くなったのは、「でん八」も流れにのって、「そのに」今の
「でん八」(歌舞伎町店)、青山店、銀座店と、、、。
私はその頃、札幌に転勤になり、向こうで結婚し、式は東京で、その時アキさん
を招待して、喋ってもらいました。初めてのせいか、固くなって真面目なことを話し
てくれました。普段のアキさんとは違っていて、私いとってはラッキーでしたがね。
今の「でん八」の時招待されました。今までの「でん八」とは少し雰囲気が違ってお
りましたね。その頃から、お兄さんとよく話しました。お兄さんの話、面白く、また含
蓄のある話も。私が六十代の頃かは、お兄さん酒を飲まず、お茶ばかり飲んでい
ましたね。私が四十代の頃中学校の同期会の二次会を「でん八」で行いました。
人数は六十名位、店は人で溢れ、ぎゅうぎゅう詰め、よく入ったものだと思います。
多分一日で入った人数は今までで最高記録ではないでしょうか?その頃「でん八」
にはたまにしか行かず、でも行くとお兄さんは快く歓待してくれました。
ある時、私の携帯に、お兄さんが亡くなった知らせがあり、ビックリしました。淋し
くなりましたね。お兄さんに最後に会ったのは、息子さんの神宮外苑店の開店の日
かな。この四、五年、私も年金暮らし、家が遠いので飲みに行っておりません。
突然の「でん八物語」懐かしのあまり、拙文ですが筆を執りました。
「でん八」は、私の青春です。決して忘れることはありません。息子さんの弘史君、
これからも頑張って「でん八」を守っていって下さいね。
編集委員の方々ご苦労さまです。
原 政文

0 件のコメント:
コメントを投稿