2020年9月14日月曜日

南洋の学び舎について 良太の~⑭  2961 

父は1943(昭和18)年に教員研修でテニアン島に渡っている。

そのことについて記録が残っておらず、母や祖母からも聞いてないので様子は
わからない。
テニアン島は、サイパン島と同じく「南洋興発」(「北の満鉄」「南の南興」)
の製糖業を中心とする産業を拠りどころとする島。とくにきわだつのは、住人
が多くの日本人のなかでも大半が沖縄県人だったことです。
日本人が南洋に渡る経緯は、移民・出稼ぎ先で南洋は儲かる、と聞いて勇んで
渡ったようだ。(日本海軍が南洋諸島を占拠した頃はテニアン島は無人島。)

父はテニアン国民学校に行ったが、小学校はほかにマルポ、カーヒー、ハゴイ
が設置されていた。

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