2015年8月31日月曜日

サイパンの昔の小学校        1117

サイパン昔の小学校(影:Pen)
この場所は、アメリカのスクールになっている。

少し、サイパン尋常小学校から国民学校に改称するまでの歴史を詳らかにしてみ
よう。
まず、「島民学校」を作り、「未開無知のものを教化」するために日本化教育に
(日本語教育)取組んだ。
1917年(ロシア革命)になると、専門知識を持った教師が派遣され指導する
ことになった。
1918年には、サイパン島に第二尋常小学校が開校された。
1929年には、チャッチャ尋常小学校を設置。
1941年には、中島敦が南洋町に教科書編纂係りとして赴任。翌年に帰国。
親父もこの翌年に本土の教職を辞して、サイパンに赴任ということになっている。

(←ブログ2014・6・18 「6・15とサイパン」675)
(←    2015・6・14 「サイパンの光と影」1039)
(←    2015・6・20 「父とサイパン小学校」1045)
(←    2015・6・22 「委任統治と植民地は、、、」1047)
(←    2015・7・17 「サイパンのチャモロ人」1072)
(←    2015・7・26 「生きて帰ってきた父」1081)
(←    2015・8・26 「教師の家」1111)

0 件のコメント:

コメントを投稿