二見さんと山浦さん二人にあったのは、安保闘争まっただなかの1960年4月だ
った。僕は入学したばかりで、二人とは三学年離れていたが或るフラクション
に誘われ参加したのをきっかけに親密度は増していった。
その後お互い変転を経ながら、とくに二見さんとは2010年5月(72歳)に亡く
なるまでの長いつき合いだった。
新宿三丁目の「スペース・雑遊」で外は小雨のなか<二見暁さんお別れの会>
があった。会場の壁に若かりし頃の凛としたスタイルの写真がこちらを向いて
いた。同世代の平井吉夫さんがマイクをとって追悼した。
「二見と会ったのは50年前、早稲田大学共産党細胞として活動、、その後劇団
(青年芸術劇場)プロデューサー、「新宿プレイマップ」、「レタス」などの
雑誌立ち上げ・編集からからヘアヌード写真の仕掛人(出版プロデューサー)
と、彼にとってそれは”革命”であって、、。」
そうなんだ、僕が最初に面体した当時二見さんは「早稲田全学共闘協議会」の
議長だった。その上、全国の大学をまわるオルガナイザーでもあった。
そして30年後、彼の企画として、ヌード写真集づくりを「二見暁」のつくり方
全舞台裏を公開する『僕は「ヘア」ヌードの仕掛人』をわが社から出版した。
本の推薦者でもある写真家・沢渡朔氏が白い花があふれる献花台を前にワイン
で献杯する。そして暗転した会場に「アカシヤの雨がやむとき」が流れた。
いま二見さんは、青い海を見わたせる湘南の霊園に眠る。墓の横にはエリカの
花が咲く。

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