露天風呂での足踏み洗濯
友人の桑原才介君の新著『磨き合う旅館甲子園』(言視舎刊)のなかで、わが
田舎奥津温泉を取材した一項がある。
その一文に触発されてもう少し身近に感じていることを、田村隆一や永井荷風
が美作津山・奥津温泉の風土を語った随想を交えながら記してみる。
岡山から列車を利用すると、津山線に乗り旭川沿いに北上して1時間ちょっと
で津山駅に滑り込む。旭川を挟んだ両脇の山野は豊かなヒノキとスギでおおわ
れ、ところどころに白桃、葡萄棚がかかる畑も昔から変わらず散見。
(大阪梅田「旭屋書店」は、この旭川から命名したと聞く。)
田村隆一は「戦時中、谷崎潤一郎が、疎開先に、美作をえらんだ理由が、充分
納得できる。土、樹木、気候、魚、果実、肉、米それに村落のおちつき。この
地方は、関ヶ原、幕末、太平洋戦争を通じて、戦火にまみれたことがないとい
う。~。それに地震がない。海は、鳥取側の松葉ガニの日本海と備前平野の前
は魚の宝庫瀬戸内である。~戦時中谷崎潤一郎だけは血色のいい顔をテラテラ
させていたというではないか。~。」と続く。
そして、田村隆一の奥さんは、美作育ちであることを知った。
さらに、永井荷風「断腸亭日乗」の昭和20年8月戦時中に、東京から汽車を乗
り継ぎ乗り継ぎ、美作勝山に疎開中の谷崎潤一郎を訪ねるくだりの日記がある。
この地方・美作の七夕を見て格調高くつずった記録。さらにもっと敗戦2日前
から15日の「正午戦争停止」の一字一句を読むと、旭川と吉井川の隣接する
上流にいたる内面の感情までただよってくる。
(→後日に続く)

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