版に類するものでした。僕が直接洋泉社に関わった創業からの歩みに少し味付
けした作業日誌であったとも言えます。
それから10年の空白があるわけですが、未だ出版界に少々携わっている関係上
洋泉社前史を補填するなかで、同伴してきた<時代精神>をどこまでへたらな
いできたのか検証しておきたいと思うに至った。
僕が東京に出てきたのは、第一次安保闘争前夜の1959年2月です。
岡山県倉敷から上京したのですが、生まれは戦中昭和15年(1940)中国山地
県北美作。
(教師だった親父は、僕が生まれて2年後にサイパン島へ渡っている。)
幼少のときは、祖母の出自の庄屋(屋号車屋)が大川(吉井川)の対岸だった
ので、屋敷の水車や納屋で隠れん坊をしたり、近くの堰堤で遊び放題だった。
そのころ、低空飛行のB29を見上げたり、母方の祖父から届けられたばかりの
三輪車に目上の子供に取り上げ乗られペタルを壊された痛手に衝撃を受けた事
実がある。
(昭和19年春に親父は、婦女子、教育者優先帰船の処遇で帰る。)
幼少のときは、祖母の出自の庄屋(屋号車屋)が大川(吉井川)の対岸だった
ので、屋敷の水車や納屋で隠れん坊をしたり、近くの堰堤で遊び放題だった。
そのころ、低空飛行のB29を見上げたり、母方の祖父から届けられたばかりの
三輪車に目上の子供に取り上げ乗られペタルを壊された痛手に衝撃を受けた事
実がある。
(昭和19年春に親父は、婦女子、教育者優先帰船の処遇で帰る。)
(←ブログ:2020・2・29 『洋泉社私記』補遺① 2761)

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