2020年4月12日日曜日

昭和16年の教育状況 良太のサイパン⑬ 2805

良太はサイパンの国民學校訓導(判任)、先生として当時着任している。
訓導は日本内地で国民学校教員資格を有する者のなかから任用とある。(南洋
群島要覧/南洋庁)

岡山師範を出て出身地村の小学校二校で教員経験を積むこと四年を経たところ
で、なぜサイパンへ行ったのかはまだはっきりしない。
想像するところでは、師範学校が国の教員養成機関であったことからしてある
種の強制的推薦に応じたのであろうと思っている。

東アジア太平洋戦争勃発の翌年という軍事時代にあって、南洋庁設置以来各種
開発事業の開発にともない、邦人の家族を帯同して来島するものが激増してい
た。そして児童数は急増し学校増設を急務としていた。このとき34校に及んで
いると云うから、いかに膨張したかが判ると同時に、教師の増員が必要だった
はずです。
良太が教壇に立った「チャッチャ国民學校」の職員数は11人で、その中の一人
だった。
国民学校の他に、公学校、木工徒弟養成所、實業学校、高等女学校があった。

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