2020年8月30日日曜日

樫山欽四郎教授の見識        2946

第一次安保闘争直後の学生運動は低調であった。

だが早大では1962年秋に、「早大軍事研究阻止闘争」(早大生産研究所が
防衛庁の委託で軍事研究を三年計画で実施)で全学スト(本部前座り込み三千
名/大浜総長名で<委託契約打ち切り>の回答提示)をうったり、「大管法粉
砕」国会上程阻止の統一行動や、マル学同独自の動労安全運転支援闘争などが
直接行動としてあった。
この状況下で、大学当局は授業妨害を理由に教育学部委員長の除籍処分をはじ
め停学処分がつづいたのである。

実は1962、3年の文学部学部長だった樫山欽四郎教授のことを、樫山文枝
さんが「日経新聞」で思い出として語っていることに触れて、学部ストを巡っ
て教授と交渉したシーンがよみがえった。前ぶりが長くなってしまった。
教授室に乗り込むなど、今時考えると無謀な勢いがあったものだ。
先生は、ヘーゲル哲学の研究をしたのちにちょうど実存哲学の探求に傾倒して
いた時期だったと思う。
彼女曰く「学生運動が激しかったころは苦労も多く、荒れる学生を哲学で論破
したこともあったという」。たしかに、小柄な体つきだったが「団交」でも怯
むことなく対応する姿を想い出すが、「断じていかん」(本当にダメなときの
口癖)とは言われなかった。
だが処分をくらった、、、。

いまはどうか知らないが、「オンワード樫山」の創業者は樫山教授のお兄さん。
樫山文枝さんは今秋、舞台「ワーニャ、ソーニャ、マーシャ、と、スパイク」
というチェーホフ劇に出演する。

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