2019年2月7日木曜日

良太のサイパン島雑記④       2374

バンザイ突撃翌日のクリフ
1944年6月27日までにガラパンの町は瓦礫と化す前に、良太は強制的(教
育者)にサイパン島を離れて本土へ向かわされた。

米軍は、まずタポーチョ山を占領した。そして7月4日までにには、ガラパン、
タナパグ両町が確保された。チャロンカノアは侵略初日にすでに陥落していた。
ガラパンの焼跡はシャベルローラーで整理され、廃物は海中に投棄されたという。

日本軍、最後のバンザイ突撃は、1944年7月7日夕刻始まった。
島の最北端にある堅固な袋堡塁に追い込まれた。
突撃命令は、7月5日、最後の司令部から二人の日本軍司令官によって発令され
たが、南雲海軍中将は7月5日夕、斉藤陸軍中将も6日夕に自決して、この突撃
には参加しなかった。

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