2021年12月10日金曜日

南洋庁の歴史とサイパン小学校②   3313

サイパン尋常小学校(昭和12年)
南洋庁の下にトラック、サイパン、ヤップ、パラオ、ポナペ、ヤルートに小学
校が設置されていた。

中島敦も親父がサイパン島へ向かったと同じ年(昭和16年6月)に、南洋庁の
官吏としてサイパン島に寄ってミクロネシアのパラオに赴任している。任務は
「国語編修書記」として雇われ、島民の子どもたちが公学校で使う国語教科書
を作るための調査に赴いたと云うこと。(中島敦著『南洋通信』)

日本海軍軍人の事業から、専門知識をもった「教師」が派遣され担当するるこ
とになる。民政(1918~1921年)の始まり。
色々の強引な政策を強要することで島民から批判を受けたり、欧米諸国からの
反発が起こる。
そんななかで第一次大戦後のベルサイユ条約では、米国は日本がグアム以外の
ミクロネシア諸島を支配するⅭ級委任統治とすることに不本意ながら合意した。
(後日に続く⇒③)

(←ブログ:2021・11・27「南洋庁の歴史とサイパン小学校のこと」3300)

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