2020年11月5日木曜日

尋常高等小学校から国民学校へ 良太⑯ 3013

教師の家(影:pen)
良太が単身(母と祖母、一人の長男を生家に残して)サイパンに渡(赴任)っ
たのは敗戦の三年前だった。
1941年度より、尋常高等小学校から国民学校(本土に準ずる)に改称され
ているが、丁度これに合わせるように行っていることになる。

落ち着いた先は、高温多湿の気候に適した風通しの良い高床式の「教師の家」
だったようです。そして教師の家は、トタン屋根の木造校舎に隣り合わせて数
棟あったように見える。
僕はサイパンニッコウホテルに宿泊したとき、ホテルのガーデニング師と親し
くなった。彼の使用人で原住民・チャモロの人(70歳余)に当時の小学校の様
子を聞き取りできた。
若い訓導(先生)ばかりで、学年はあいまいだがよく歌をうたったとおぼろげ
に思い出してくれる。「赤とんぼ」「モモタロウ」「兵隊さん」、、。
また、日本の儀式や行事は厳粛に頻繁に行われていたようだ。

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(    :2020・4・12「昭和16年の教育状況 良太のサイパン⑬」2805)
(    :2020・8・17「昭和16年のサイパン国民学校 良太⑭」2933)
(    :2020・9・14「南洋の学び舎について 良太サイパン⑮」2961)
 

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