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| 久保田・矢野・関本・岡田監督・鳥谷・今岡選手 |
2度のリーグ優勝に貢献したなか、2005年には「JFK」の一人として活躍。
(ジェフ・球児・久保田)。
07年にはプロ野球記録の90試合に登板する豪腕ぶりを記憶に焼き付けた!
久保田が滑川高校から常磐大を経て、ドラフト5順目での阪神入団時が印象に残
っているのは、出身高校のことでした。三度ばかりドライヴでほたるいか生息地で
有名な富山滑川市(なめりかわ)に行ったことがある。
埼玉の滑川高校(なめがわ)が久保田(捕手&投手)を擁して甲子園に出場してい
たのは後になって知った。「なめがわ」と「なめりかわ」の読みの違いと、僕のなか
では富山の方が圧倒的に印象度があったと云うことです。
さて、「久保田がおらんかったら優勝できなかった」と言う、05年の優勝監督岡田
との絆の強さを少し記しておこう。背景はいろいろあるが、先発投手だった久保田
のテストをシーズン初めに重ね、05年の開幕から球児を7回、彼を最後の抑えで
いって確信のうえ、これをシーズンを通して貫いた。そして優勝!
江夏豊さんも9月7日のナゴヤドームの観戦記で書いている。(『猛虎かく勝てり』
洋泉社刊)ペナントを左右する大きなポイントとなる試合、先発は下柳と川上の投
げあいで、9回は互い久保田と岩瀬にリレー、同点の9回裏1死満塁の絶体絶命
のピンチ、岡田監督がマウンドに自ら激励に「全部インコース、強気で行け。デッド
ボールを当ててもええから」と言った、と当人から聞いた。それで、その後の11回
まで0で抑えた。このシーズン最高と言ってもいいゲーム展開だったと。
さらにの試合には余談がある。今、タイガースの2軍でコーチをしている中村豊の
移籍初アーチが決勝打となる、野球人生の中でも忘れられないもののはず。
久保田に助けられた岡田監督は、07年は球児をクローザー、久保田を7回にし
て、なんとか彼にも脚光をあびせたいとの思いが、登板数のとてつもない数字を
残させようと、それが90試合登板の大記録を生んだとコメントしている。
栄光と、黙々と投げ続けた疲労蓄積なかで野球人生後半の登板するたびに浴び
る罵声は耐え難いものがあったと思う。が猛虎の黄金期をささえたまぎれもない
選手で歓声のなかでサヨナラして欲しかった。

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