原稿の依頼があった11月頃、永田は体調を崩し書くのを渋っていました。
「書きたいことがあれば私が代わりに書いてあげるから」そう言いながらゆっく
り話を聞くこともせず、永田は12月14日に鬼籍に入ってしまいました。
”アニキ“や”アキちゃん“に感謝の気持ちも伝えたかっただろうし、また建築家
として足元のしっかりしていなかった頃の拠り所として、うさも愚痴も聞いていた
だいたお礼もきっと言いたかっただろうと思うのです。お二人にも永田にも申し
訳ないことをしたと思っています。
永田にとって「でん八」は、普段ご無沙汰をしていても、気心の知れた親類の
ような存在だったに違いありません。「でん八」に行っていた、”アニキ“と一緒だ
ったと言えば、ご帰還が明け方になろうが許されると思っていたようで、悪びれ
もせずよっぱらって、何やかやとわけのわからないことを言っていました。
私が一緒にお店に伺った時はいつもきまって、永田がいかにいい男であるか、
というほめ言葉ばかりでした。その裏には、私に対して「だめな男だがよろしく」
といった、兄貴としてのかばうやさしい気持ちがあったのでしょう。
今から40年前に、私は長女を出産しました。その日は十数年ぶりの大雪の
日で、都内の交通機関は完全にマヒしていました。そのなか”アニキ“はタクシ
ーで病院まで駆けつけてくださいました。私は大変恐縮しました。それまでただ
の店主とお客の付き合いだと思っていましたから、、、。たぶん、かわいい姪が
生まれたような気持ちでいてくださったのに違いありません。
”アニキ“の逝去の知らせを受けたとき、悲しみはそれは深いものでした。そ
の頃は仕事も忙しく、なかなかお店に顔を出す機会がなかった頃でしたので、
悔いる気持ちが大きかったのでしょう。
今、私はなんとなくほっとしています。きっと長い間の空白を埋めるべく二人
は、空の上で大いに呑み大いに語り合っていることでしょう。
y永田
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