ています。野瀬Mさんの寄稿から──14
私が」「そのに」のアルバイトのバーテンをしていたのは、大学2年生、昭和48
年の秋から二年間です。「マスター」こと松尾Tさんの高校の、しかもクラブの後輩
という縁で手伝い始めました。
当時は、「マスター」と「忠さん」それにコックの「城さん」と私の四人、中華料理と
サントリーの「角」がメインというユニークなと取り合わせのスナックでした。
「そのに」の看板メニューは、何といっても「マスター」の話でした。酒と煙草で鍛
え上げられたしわがれ声で、どんな人でも、話をすればすぐに引き付けられる話
術の持ち主です。その「マスター」が姿を現すと、店がパーッと明るくなります。カ
ウンターには、一人でやってくる常連さんがそれぞれの定位置を占めますが「マス
ター」を待ちわびるお客さんが随分といました。
他愛ない話でも「マスター」にかかると面白い話に変わりますし、口の重い人に
も「調子はどう?」とか話しかけておいて、次第に自分のペースに引き込む術は鮮
やか。特に、友人待ちのお客や盛り上がりのないグループに息を吹き込むのは天
下一品で、いつの間にやら主人公におさまっていました。
一方、お客さんには、フリーのライターやカメラマン、役者さん、若手の落語家、
バンドマスターらがいらして、まさにフリーランスというか自由人の宝庫でした。演
出家の蜷川Yさんも若手の役者さんと激論を交わしていました。そのような様々な
ジャンルのお客さんが店のムードを作っていたのが「そのに」でした。
学生運動が沈静化して世の中が落ち着いたというか澱んでいた時に、「そのに」
には音楽や芸術の話が溢れて、次代の流れに負けぬ意地を見せていたように思
います。全くもって色気ははゼロ、酒の肴は「話」という大人の集まるお店だったと
思います。
私は学生時代の半分を「そのに」で過しました。私の青春は「そのに」と重なりま
す。自由や文化そして、良くも悪くも大人ということなどを肌で体験できた、文字通
り社会勉強の場でした。随分皆さんのお酒を頂きました。所詮「学生アルバイト」と
いう扱いではなく、一人前の人間として接してくださった大人の常連さんに私は育
てられたのだと思っています。また、「マスター」の話術は、その後アナウンサーに
なった私には、大きな財産にもなりました。
こうして振り返えれば、私の身体には、今も「そのに」が往き続けているのかもし
れません。
当時の皆さんともう一度、あのでん八「そのに」で、話と酒を味わいたいと思いま
す。
野瀬M(アナウンサー)

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