「でん八 50周年記念」冊子(準備中)への寄稿から──9
編集委員の森本Kさん。
「でん八」開店初期の時代、いつ行っても誰かグループサウンズ関係の歌手や演
奏者が来ていた。当時、店のすぐ近くにジャズ喫茶「ACBアシベ」があり、人気GSバ
ンドが日替わりでステージを賑わせていた。そんな連中が、休憩時間や終演後に食
事や飲みに来るようになり、たまにファンの女のコまで混じっていた。
L字型カウンター十人ほどの狭い店内で、そんな芸人たちと身体を寄せ合い、会話
も交わしながら飲み会いできるのが「でん八」で過すたのしみでもあった。
新人だった頃の布施明もステージの合間にお茶漬けを食べに来ていたのを何度
も見かけたし、連日のように顔を出していたブルーコメッツのジャッキー吉川は歌手
の田川譲二や新人・尾藤イサオなんかも連れてきていた。
ブルーコメッツのリードボーカル”大ちゃん“こと故・井上忠夫も後に奥さんになる女
性同伴でやってきたこともあった。それにいまや「NHK紅白歌合戦」「NHK歌謡コン
サート」などのステージで指揮をしている三原綱木はまだ十代後半の若者だった。
綱木氏とたまたま末席が隣同士になった時、彼がカウンター内のアキさんに「初め
て自分でレコードを買いましたよ」と話しかけ、見せてくれたのが、なんと都はるみの、
「アンコ椿は恋の花」だった。あまりのアンバランスさにびっくりした記憶がある。
当時の若者たちに超人気だった<日劇ウエスタンカーニバル>。出演できればス
ターの仲間入り。「でん八」の常連芸能人もほとんどが出演者だった。アキさんが公
演中の日劇の楽屋に陣中見舞いに行ってきたと聞いたときは、とても羨ましかった。
そんな日劇常連出演者のなかに、歌って踊れる異色混血グループとして売り出した
シャープ・ホークス。なかでもリーダーの愛称トミーこと野沢祐二にはよく店であった。
メンバーのリキヤンこと安岡力也やサミーこと鈴木忠男もお馴染みさん。
トミーとは現在でも交流があり、つい先日12月7日(2013年)に横浜YCCで開催
された<トミー野沢のクリスマスパーティー>に、アキさんと当編集委員のセッチャン
の三人で参加し、その場でサミーにも再会、懐かしいGS時代の曲を堪能でき楽しか
った。
シャープ・ホークスの代表曲でもある「遠い渚」は、トミーのアレンジもの、いまでも色
褪せない名曲である。余談だが、故人になった安岡力也がファンの女性から逃げるた
めか、「でん八」の二階の窓から下に飛び降りたというエピソードもあり、勿論、目撃も
した。
黛ジュンと結婚して話題になった江藤勲も常連だった。<ウエスタンカーニバル>で
は、津久美洋とオール・スター・ワゴンでベースを担当。現在では筒美京平、鈴木邦彦
など大ヒット作曲家がこぞって彼を指名するという日本一と評判のベーシストである。
店ではいつも紳士的で静かなリードで飲んでいたのが、ドイツ出身の歌手フランツ・
フリーデル。ロカビリーグループのなかでもその歌唱力と端正なマスクで人気を博し、
カバー曲「電話でキッス」が大ヒット。彼に頂いたサイン入りレコードは今でも大切に保
存している。彼は平成18年に亡くなった。
ほかには、ワイルドワンズの加瀬邦彦、全員集合が始まる前のいかりや長介、フォ
ーメイツの渚一郎、ブルージンズのドラマー工藤ちゃん、その奥さんになった上野の小
料理屋の娘サワちゃん、二人はその後、有楽町ガード下で「やきとり屋」を始めた。
小松政夫、ヨーデル歌手大野義夫、それに内田裕也の顔も。いまやメジャーになって
活躍している人、引退した人、人生さまざまだが、青春時代に「でん八」で過した懐かし
い記憶は私も含めて忘れることはないだろう。敬称は略させて頂きました。
森本K(ライター)
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