2014年1月30日木曜日

「でん八」、50年目の告白

片山Kさんの寄稿から──18



よく続いたものだ。
芸大を出て勤めて2、3年目だから、昭和45年(1970年)頃のこと。仕事は忙し
かったけれど毎夜毎夜通いつめていた。はじめは「でん八」に、やがて「そのに」
に、そして「三」にである。新宿で飲んでいたと言っても、何の事はない一、二、
三を行ったり来たりの毎夜。「一」の一階の奥座敷、一畳だったが店が終わるま
で居て、同級のO君の青山ピーコック上のアパートに流れ込むか、アキちゃんの
帰り道に送ってもらって家に帰るかが多かった。カバンには歯ブラシと手拭が入
れてあり、どこにでも泊まれた。でも不思議に一ヶ月飲めた。多分ツケで給料が
入ると精算していたのではないかと思うが、安かったとしてもよくお金が続いたも
のだ。

 そう言えば、一晩で設計したことがある。ある夜、「でん八」の狭いカウンターで
O君と飲んでいたら、アキちゃんが「でん八・2」を始めるから設計してくれ、今晩!
締切りは明日の朝、と云う話になった。今晩?酒の勢いで私の勤めていた赤坂
のM先生の事務所に戻り、二人で徹夜して改修図面を書いた。本当に一夜漬け
の設計。手分けして僕が平面図などを描き、当時住宅公団に勤めていたO君の
方が断面詳細図を描いたのだから、ある意味貴重な図面ということになる。
朝方アキちゃんが、おにぎりと一升瓶を持って来てくれ、東京温泉に連れて行っ
てくれた。それが設計料。今はなき東京温泉、銀座裏の方だったと思う。そして
工事。多分事務所の帰りを早めて現場を覗いたのではないかと思うのだが、忘
れられないのは施工者が水道管を打ち抜いたこと。まだ経験も浅く、木造二階の
床下でそう云うトラブルが起きるのは想定外で驚いた。他の飲み仲間の人たちも
係わっていたようで、あれよあれよという感じで出来上がった。
 二人でよく飲んだ。と言っても実は酒は弱い。ただ毎夜、毎夜足が向かったと
いうのが正確なところ。そう言えば、週末土曜日の夜中、オールナイトの映画に
も通った。「でん八」でおにぎりを握ってもらい、高倉健や藤純子のヤクザ映画に
一喜一憂した。と言っても、実は徹夜も弱い。最初の派手な画面だけ観て後はほ
とんど眠っていた。

 思い出してみると、何のために「でん八」に通ったのだろうか。新宿が特に好き
だったわけでも、好みの女性がいたわけでもない。兄貴とアキちゃんの顔を見に
行ったにしても、それほど美男ではないし、噺家のように話が面白いわけでもな
い。二人とも声は渋くて良かったけど。
 ふと、もいかしたらそういう人たちが多かったのではないだろうか。大して飲みも
せず、何しに通ったか分からない人たちが毎夜、毎夜顔を顔を出したところ。
飲みに行くというよりも、飲みに帰る”わが家“のような気分に酔っていたのかも知
れない。
 50年経った今頃言うのも可笑しいけれど、兄貴、アキちゃん、店の酔い心地も
酔い醒めも悪くなかったヨ。
                               片山K

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