彼のことをウエちゃんと言い、その後に愛称でマモちゃんともよんできた。
そのウエちゃんと初めて出くわせたのは、1961年で安保闘争から、「政暴法」
(政治暴力防止法)の国会強行審議入りに反対する集会場(赤坂の清水谷)で
だったと思う。
当時、彼は法政大学の第四インター系の活動家で、共闘会議などでもよく会っ
ていた。
その後は、現代思潮社に就職し、僕は未来社に籍を置き同じ出版関係であった
ことと、会社が文京区の安藤坂の上(伝通院)と下(大曲)という奇妙な縁で
またまた一緒する機会が日常的に頻繁になる。
このころから、草野球チーム(カンバイズ)を立ち上げ、草生すグランドに出
て野球に興じたあとは、夜の部がまっていた。
マモちゃんは、超がつく酒豪で熱弁をふるうのが常でした。論争はしょっちゅ
うでしたが、根っからの優しい男でした。
現代思潮社で労働争議のあと、サンマーク出版に転籍することになるが、前社
での仔細な人間関係などは『「現代思潮社」という閃光』を読むと想像がつく。
いずれにしても、同時代感覚を共有してきた気分で、永く長くつきあってきた
親友でした。

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