2021年6月12日土曜日

祖母に育てられた想い出       3232


わが家は、和裁縫屋だった。

戦後直後の話だが、祖母は針仕事で生計の一部を賄っていた事情による。
連添いの電気技師だった祖父は、前にも記したが父が8歳のときに心筋梗塞で
亡くなっている。
またこの当時、教師だった父はサイパン島帰りで公職追放にあい、不安定な生
活を余儀無く強いられていた。

祖母は和裁の先生で、嫁入り前の若い女の子を家に集めて布地を裁って和服に
縫い上げる指導を行うのを見ていた。
近隣の二十歳前後の縫子さんたちが出入りして華やぐ時期があったのだ。
彼女たちはお菓子持参でやって来ては、僕にもさし出し可愛がってくれたのを
覚えている。人見知りするどころか、シンガーミシンを備えた八畳敷の稽古場
から外に連れ出し遊びに興じたこともある。
そんなことをしながら、祖母からきつく小言を窘められた記憶はない。 

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