![]() |
| (tetu所蔵) |
しい一枚の写真を発見した。
それは父がサイパン島の岬に立ち、椰子の木陰で夕涼みでもしている風情の浴衣
姿です。
写真裏には、「検閲済証、昭和17・11・2、南洋庁サイパン支所」の押印。
こうした検閲証は、先日京都で会ったショウスケさんの、サイパン官舎を撮った
遺品写真の裏にも同じように押されていた。
検閲を受けた前月10月25日、南太平洋開戦となっているので、この頃撮影し焼付
けた上で母のもとに届いたと思われる。
この写真を見る限り、彼が教鞭をとった学校は、中心市街のガラパン国民学校では
なく、僕がラウラウビーチでダイビングするためにジープで通った台地に在ったと
される「チャッチャ公学校」ではないかとあらためて推測してみる。
(北原白秋は11月2日に、サイパン島に寄港したことのある中島敦が12月に没
した年でもある。)
(←ブログ:2016・9・9 「親父とサイパン尋常小学校」1492)
(← :2016・11・8 「サイパン島チャモロ原住民の同化教育」1552)
(← :2017・1・17 「戦前のサイパン島出生者のレポートから」16223)
(← :2017・2・15 「サイパン島育ちの人から便り」1650)
(← :2017・2・16 「サイパン島育ちのモリタさんへ返信」1652)
(← :2017・3・7 「サイパンの「小学校」と「公学校」」1672)

0 件のコメント:
コメントを投稿