2021年2月4日木曜日

祖父のこと③            3104

僕は母方の祖父から昭和の初めにタクシー会社をおこしたが、間もなく所有の
車を手放したと聞かされていた。何故かは知らなかった。

後に祖父のエピソードを「松浦航空」社長が、ある雑誌にエッセイで語った際
さもあり何と思ったものです。
その松浦巌さんの文章は、長野県安曇野の村からカンボジアに来て、白コショ
ーを開発した「白コショーの高橋」のルーツブロワー。
その前段に当時(昭和10年)道路工事請負業(岡山県小田村、現鏡野町)を
していた桜井作夫(祖父)は、道路工事夫で流れ着いていた高橋三郎さんの、
「アメリカに勉強に行きたい」と言う度胸をかって百二十円を工面。高橋さん
はその春、神戸港からアメリカ船にのったが、香港で下り次に乗って着いたの
はカンボジア止まりだったという話。

祖父はこの時はすでにタクシー会社から土木業に転職しているわけで、変わり
身がはやかったことがわかる。

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