それは、「自己責任だ」という非難の言葉が、シリアの武装勢力から解放された
安田純平さんにであったり、あるいは、物言わぬ弱者が強者の論理で切り捨てら
れる状況のなかで日増しに増幅している。
新刊の辺見庸『月』で、2年前に起きた「相模原障害者殺傷事件」に着想した小
説でも、弱い者が「自己責任」と切り捨てられ、排外主義が堂々とまかりとおる
現在を、形而上学的手法で存在を幻想のなかに表出している。(これぞ、小説!)
安田さんのことで云うなら、公認された記者が取材可能な地域に出かけるのでは
なくて、国に抗して危険エリアに行ったのだから生死についても自業自得という
ことらしい。
彼がシリアに行かなければ誰が行くのか。シリアがカオス状態にあること、生活
不可能な町(アレッポの石鹸)にグジャグジャになっていることを知ることがで
きるのは彼の行為によってである。
ネット上では、安田さんの行動、言動が炎上しているようだが、国というのか、
ときの権力に抗して行動し、レポートし続けたわけで、ジャーナリストの本道で
はないかと思っている。
キーボードにむかって、「責任を取らないとんでもないヤツ」と、妄想を打ちま
くるだけなら、何の身の危険も、リスクを取らない。

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