2017年11月15日水曜日

ブックメイツ新百合ヶ丘店へ     1924

(2017・11・13影:tab)
小田急沿線で打合せを設定していたので時間調整がてら、「ブックメイツ新百合
ヶ丘店」に寄った。新百合ヶ丘の改札を出て1分のところに、寄って、見て、買
って読んでください、と、本の情報が圧縮されたオープンな店内に誘われる。

突然の訪問で、店長はパソコンに向かって仕事中だったが、すっくと起って話し
合いに応じてくれる。
一昔前とは様変わりして、エキナカの書店でも地の利を生かして個性的な見せ方
をする棚や平台にポップ・パネルを見かける。
この新百合ヶ丘店では、カノウ店長自ら新刊書の初期スペースから本を移動させ
ながら読者を発見していく手法で、売り逃しをしたくない思いが伝わってきた。
このことを書店員に徹底されているのが、明るい会話が弾んでいるなかに感じ取
れた。

「洋泉社新書フェア」が歴史書を中心に目立つ展開だったので、発想の経緯を訊
ねてみた。今や500点は下らないであろう洋泉社の新書刊行のなかで常設棚が
ないこと、歴史新書が最近とみに注目されていることから、女性担当者の思い切
った企画(発注)のようだった。

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2017年11月14日火曜日

或る広告マンの半世紀        1923

二ヵ月前、「出版OB会」の会場で約束した、サトウmさんを訪ねて小田急百合丘
の駅に降り立った。トレーニング姿の彼が改札前で待っていた。
米寿のお祝いをすませ90歳を越えたというのに、見るからに若く見え体力維持
に抜かりなしの感じ。

里山の中腹に位置する自宅応接間で懇談。
小田急線を使って登戸あたりから先になるにしたがって、線路の左右には山を切
り拓いた斜面に密集した新興住宅が車窓から見られる。
きょうは、その家の応接間から対岸ならぬ向山の民家の灯かりを眺めながら話は
弾んだ。最初は真剣に、半ばからは盃を酌み交しながら7時間に及ぶロングラン。

大正15年即ち昭和元年(1926)に始まる生い立ちから、昭和通信社(現・昭通)
半世紀にわたる広告マン人生をめぐって、第二ステージでの地域包括活動と健康
管理法について、彼の「自分史」記述にそって概略を喋ってもらう。
未だまだ続きそう、、。

(←ブログ:2016・5・10 「或る広告マンの生涯」1370)

2017年11月12日日曜日

奥多摩渓谷紅葉狩り         1922

沢井の吊り橋から(2017・11・12影:tab)
正午に家を出て青梅沢井の酒蔵に向かう。
新酒の真っ新な酒粕を手に入れるため。

まずは、寒山寺から見下ろす鮮やかな紅葉と多摩川の水辺の文様に見とれて暫し
休憩。
川の両岸からせり出すモミジは、未だ落葉前で紅葉真っさかりの派手さはないが、
増水した流れに映えるコントラストが美しい。
この少し上流にある河合玉堂美術館の、大銀杏の落葉で積もった黄金色の落ち葉
の道を歩くのは、いまの時期の楽しみです。
ところが、その落葉とモミジの落ち葉が水辺を埋めるのは、わずかに先のようで
す。落葉の予想は、春の桜開花予想より難しいと云うことです。
写真は、寒山寺下の吊り橋から撮ったものです。この辺りの散策は、年に二、三
度はきます。

武蔵国分寺跡から湧水群を歩く④   1921

武蔵国分寺 僧寺金堂想像図
武蔵国分寺は、府中市の国府から北方2㌔の地に「東山道武蔵路」を挟んだ東西
に「僧寺」と「尼寺」が在る。国分寺は、8世紀半ば頃に全国60余国に建立さ
れたが、両寺が判明し保存されているのは大変貴重。
国分寺という市名はこのことに由来。

国分寺として規模も大きく、七重塔が建立されるなど壮大な寺だったと思われま
す。戦国時代に寺は消失したが、新田義貞により薬師堂が再建されたと伝えられ
ている。武蔵国分寺は、国分寺崖線の湧水や緑におおわれた環境良好な地である
ことが重要な要素であったようです。
ちなみに、この国分寺にあるような湧水の豊富な崖線のことを古語で「ハケ」と
呼ぶ。大岡昇平の『武蔵野夫人』は、このハケを舞台にした小説です。

武蔵国は、奈良の都に「東山道」とその支路(東山道武蔵路)とでつながってい
た。

(←ブログ:2017・11・3 「武蔵国府と国分寺を歩く ①」1913)
(←ブログ:2017・11・5 「大國魂神社とくらやみ祭 ②」1915)
(←ブログ:2017・11・10 「馬場大門のケヤキ並木と祖父母③」1919)


2017年11月10日金曜日

大槌町復興推進隊子供たちの新巻鮭造り1920

今年も、師走が近づくこの時期の大槌学園8年生の新巻鮭づくり体験学習が、大槌
湾の魚市場で行われた動画を見た。

防水エプロンで身を包んだ若者の熱気が立ち込める加工場は、復興の姿を象徴する
風景でした。
新巻鮭という大槌の伝統を次の世代につなげたい、との加工職人のプロ師の熱のこ
もった指導。それを真剣な眼差しで受け止める生徒たちの一体感が素晴らしい。
被災後、新しい学制でスタートした大槌町の教育力を効果的に引き出す「ふるさと
科学習」の生きた真骨頂を見せてもらった。

大槌の「鼻まがり鮭」はつと有名で、3・11津波来襲前には暮れになると、「大
槌の御祖母ちゃん」から「吊るし新巻鮭」が届いた。昔は軒下に吊るして仕上げる
自家製だったという。焼いても酒粕汁にしても美味だった。

(←ブログ:2013・12・2 「大槌の鼻曲がり鮭」)
(←ブログ:2014・12・2 「大槌の鼻曲がり鮭が今年もまた届く!」843)

馬場大門のケヤキ並木と祖父母③   1919

馬場大門ケヤキ並木(2017・11・3影:tab's)
【馬場大門のケヤキ並木】
このケヤキ並木は、大國魂神社の北に延びる参道に所在し、大鳥居から約600
m続きます。
このケヤキ並木は、徳川家康が大國魂神社に2条の馬場と並木を寄進したもので
「馬場」地名の由来とされています。明治以降、甲州街道・市中心部・鉄道を結
ぶ通りとして発展してきている。
地元では、60年近くにわたりケヤキ並木の保全と環境整備に取り組んでいます。

紅葉前のケヤキ並木のトンネルを歩きながら、祖母が時々想いだしては府中の生
活を懐かしく語る、顔を思い浮かべて見た。
祖父は「電気技師」で、祖母と結婚して間もないとき京王電気軌道(現京王電鉄)
の仕事で東京に出て、府中に住んでいたことがあります。
そして、父は大正5年(1916)に「東京府北多摩郡府中町5761番地」で出生し
た記録も出てきた。

(←ブログ:2017・11・3 「武蔵国府と国分寺を歩く ①」1913)
(←ブログ:2017・11・5 「大國魂神社とくらやみ祭 ②」1915)

2017年11月9日木曜日

神田ガード下探索          1918

次郎長寿司(2017・11・8影:Tab)
都心での会合の後、JR神田駅南口ガード下の「次郎長寿司」を訪ねる。
このガード下エリアもいよいよ整理されるとの話題を聞いて、ならば様子うかが
いに、となった。
最近はご無沙汰だったが、以前はもっぱら二次会でちょいちょい寄ったものです。

戦後の闇市風建物がそのままで、年季の入った戸を開けるとL字型カウンターが
次郎長寿司。
大将は僕と同じ年ながら、ねじり鉢巻きで気っぷよく威勢がイイ。
彼は生粋に神田っ子だが、清水の次郎長と何らかの縁続きだそうです。
また、女優の浅丘ルリ子とは小学校が一緒で、住まいも隣りだったとか。彼女の
神田での幼少時代についたは、日経の「私の履歴書」に詳しく、次郎長寿司大将
についてのエピソードも書かれている。

刺し盛はその日仕入れた新鮮なネタが山盛りでくる。
大トロ、赤身、青柳、ホタテ貝柱、サザエ、生ウニ、甘エビ、イカ、、
仕上げは、パリっとヤマゴボウ巻。
呑みネイ 喰いネイ 神田っぽくイカス鮨!