2019年8月6日火曜日

74年目の8月6日         2555

昨夜、突如、Gyoたち三人が、一日早い僕のお祝いに駆けつけてくれた。
そして今朝早く、それぞれ仕事と学校のために都心へ、高速に乗って帰ってい
ったのである。うれしかったが、台風一過の様なあわただしさでした。

8月6日8時15分黙祷。
その瞬時のなかで、何故か、いなかの今は亡き「日笠の大叔母」の被爆した顔
の微笑みかける姿を見た。
あの日の光景は決して忘れられず、直接被爆のそのリアルな経験を淡々と語る
表情に吸い込まれるような気がしたものです。

あの日、「嵐の中の母子」を見て、、。
安らかに眠りたまえ、あやまちはくりかえしませぬから。

2019年8月5日月曜日

ハルの夏期鍛錬行事はスキー場民宿で 2554


携帯端末から接続可能なインターネットを利用すれば、家に居ながら日本とい
わず世界各地の様子も見られる。

僕は小学校から大学まで、スポーツクラブに入って活動したことがない。でも
突出した選手になり活躍するまでにはならなかったものの、スポーツ万能だっ
たと自負している。
ところが、ハルは自ら進んで組討(武道)のクラブに入り、この4ヵ月、真剣
かつ楽しく鍛錬している。
ハルは、未だ身長体重とも平均より劣勢であるが、水泳を長く持続してやって
いるので、足腰と体幹が強い。
送られてくるネット添付の写真や動画を見ても、徒手を主体とした攻撃・防御
で構える腰がひけてなくどっしりしているように見える。
何ごともそうだが、基礎の繰り返しが重要で、若い先生や師範代たちの指導目
線がイイのだと思う。

2019年8月4日日曜日

『点と線』テレビ版を観る      2553

松本清張の小説も映画も好きだ。
本格ミステリのリアリズムが好きなんだ。

1958年作品/監督・小林恒夫/出演:南廣 高峰三枝子 加藤嘉を観てい
るが、今夜みたTV版は、2007年放映作品で二度目になる。
出演:ビートたけし 高橋克典 内山理名。
10余年経って見ると、亡くなった市原悦子の画面が懐かしかったりする。
ビートたけし演じる定年間際の、女房の手作り帽をかぶった鳥飼重太郎の直観
力と信念。
福岡の香椎海岸で官僚課長補佐と料亭の仲居の死体発見。たんなる心中事件と
して処理されたことに疑問を抱いた彼は、東京の若手警部補・三原紀一ととも
に捜査を進める。ところが、二人が追う人物には鉄壁のアリバイがある。

その重要な役割を担った、東京駅13番ホームは1994年に姿を消した。

清張の長編小説第一弾であり、社会派ミステリの代表作。そしてトラベルミス
テリのパイオニア的作品。

2019年8月3日土曜日

三宅⇔吉田⇔鎌田のゴールデン内野陣 2552


阪神タイガースの往年の名二塁手・鎌田実さん逝く。

リーグ優勝した1962年の開幕スタメン(対巨人戦)は、①三宅秀史②吉田
義男③並木輝男④藤本勝己⑤ソロムコ⑥藤井栄治で、⑦番にセカンド鎌田実⑧
山本哲也⑨小山正明のオーダーだった。
60年代前半は、忙しさにかまけてプロ野球中継を観ること、極端に少なかっ
たが、オープニングだけはTV中継でも必ず観ることにしていた。
新宿の喫茶店「ブラジル」だったか、、。

二塁鎌田、遊撃吉田は、互いに切磋琢磨し、技を極めた。その華麗な守備は、
我々ファンはもちろんのこと、他球団の選手からも一目置かれていた。
試合前のシート発表のアナウンスで一気に歓声でわいたものです。三塁・三宅
秀史のライン際の守備と強肩、牛若丸吉田の俊敏な動き、そして鎌田のバック
トス&深い守備位置からのジャンピングスロー。
シーズン通じてエラー一桁の鉄壁の内野守備陣。

2019年8月2日金曜日

とろけるような鰻の香ばしさ天下一品 2551

2019・8・7 影:nncan
神田にあった会社へ行っていた頃と違って、都心に出てもJR神田駅で下車する
機会が稀になった。
きょうは東京駅地下街の集まりだったので、途中神田駅で降りて、西口通りに
ある「うな正」へ寄り道した。久々に店長と話しながら持ち帰り用に二串買う。

このうな正では、浜名湖から毎朝直送する厳選された活鰻を使用している。
むかしは、社長陣頭指揮で子供さんたちファミリー総出で、ウナギをさばく仕
込風景を見ながら通勤していた。

僕は子どものころ、吉井川で獲ったウナギを祖母が背開きでさばいて、手作り
のたれをつけながら七輪で焼いた身のしまった蒲焼を食べていた。
それに比べ「うな正」は、一度ふんわりと蒸してから、自家製のさっぱりした
タレにつけ焼いて仕上げているので、ちょと違和感があったが、いまでは、yu
曰く「鰻はうな正だけでイイ」に、同調するほど美味いと思っている。

2019年8月1日木曜日

倉敷の夏を想う~倉敷川       2550

夜の本町筋
8月に入ると、ヒロシマや田舎のことを思い出す機会が多い。

8・6から、原水禁、敗戦そしてお盆入りと、若いときは東京不在がつづいた
ものです。
そうしているうちに、としを重ねて弟たちが居る第二の故郷、倉敷の町や瀬戸
内を、特に目的があるでもなくゆっくり回遊することを好むようになった。
とくに、倉敷美観地区は大戦の戦火を免れ、江戸の昔から受け継がれてきた良
き佇まいを残す。美しい白壁のかつての商家が並ぶ川端をちょっと離れて路地
裏を抜けると、そこにはいまも変わらぬ日々の日常がある落ち着きにホッとさ
せられる。
倉敷川(ホリワリ)に映える青い柳と白壁の悠久の美に誘われて、、。

中学生の時に初めて入館した「大原美術館」は昔と変わることなく、国内外の
名作・名品がこれだけ観られる美術館はほかにない。
エル・グレコの「受胎告知」をはじめ、ゴーギャン、ロートレック、ミレー、
ドガ、モネー、セザンヌ、ピカソ、ルオー、シャガール、ロダンの彫刻まで。
90年前に実業家大原孫三郎が私財を投じて開館した倉敷の象徴的な存在だ。

梅雨明けの功罪           2549

梅雨寒で東日本などで日照時間が記録的に短かった。
ようやく梅雨が明けると、一転、熱中症患者が続出する炎暑日にみまわれてい
る。
わが家人も、ハルの夏鍛錬行事に陣中見舞いで都心に出かけ熱中症状態になっ
て、予定を繰り上げて帰ってきた。
すぐに寝込んだが、寝苦しいらしく悪化が心配だ。

この強烈な日差しに反応して、今日まで延ばしのばしにしてきたコタツの掛け
ふとん、敷きふとんを、風呂桶洗たくして干した。
例ねん曇った日に当たると日をまたいで干までには数日かかるときもあったが
幸いに、一日でほぼ乾く早さだった。