やんごとなき用事で都心に出ても、この一年余りは病院での治療や会合を済ま
せたのちに、「ちょっと一杯」の途中下車は皆無になった。
巣ごもりの友人たちからは、新型コロナウイルス禍の近況を知らせながら秋口
になったら会えるのを楽しみにしている、とか、電話やメールしてくることが
頻繁になっている。
だがこの事態の克服の目途がたっているわけではない。
視えざる相手を見えるようにすることが原点だろう。感染者と非感染者を区別
することが対策の基本のキであろう。勿論、誰もが感染する危険を避けられな
い状況で感染した人を排除する差別があってはならないのは自明である。
だが、感染者がどこにいるのか分からないまま、出入りを禁止したりするのも
素人っぽくだが疑問に思う昨今だ。
阪神タイガースが9回二死から大逆転勝利した満員の観客席で前後左右のファ
ンが歓声を上げている風景しかり、今日、大谷選手出場ののメジャーリーグ・
オールスター戦の満員のスタジアムも上限が撤廃されている。だが、集団での
感染は生じていない。
さて日常化の動きのなかで、観客で密な最たる場所との温度差を、どのような
判断材料とすればいいのだろうか。
やはりワクチンが生命線であることは間違いないが、どうも日本のワクチン接
種の行程はクリアでない。
例えば酒を振舞う場所では、双方の者が簡易抗原検査を頻繁に実施して陰性を
確認し合ったうえでのみ営業すると云うシステム化。
ワクチンの接種者と非接種者(主体的拒否者は自由裁量)の区別(差別ではな
い)。陰性証明や接種証明は多種多様に活用できると思うが如何なものか、、。

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