2013年12月7日土曜日

宮古・浄土ヶ浜/記憶の断層16


浄土ヶ浜(2013・12・5 Gyo影)
 今週、Gyoは映像の仕事で陸中の宮古に行っていました。

送ってもらった浄土ケ浜の、被災した後の凄みのある写真を見た。
海から昇る太陽光線をあびて手前の砂浜に向かって冬の影を落としているのが
侘びしい。
最初にこの砂浜に立ったのが47年前の夏で、その後も二度、震災前に旅してい
ます。何度となく縁あって行っているので、写真を見ただけで風景に溶け込めます。
大津波襲来で島の松が流出したのと砂浜がせり出し黒ずんだように見える。津波
後遺症を除いてだが、、、。

47年前は、まだ鉄道がなくて宮古から久慈には海岸沿いに行くことは至難のこと
でした。
2002年の夏の旅で、やっと海岸線のリンクを完成したというわけです。
宮古は、何度でも訪れたい土地になりました。

被災前、浄土ヶ浜大橋から(2002・8影)

2013年12月6日金曜日

アングラ新宿花盛りのときに

「でん八50周年記念」冊子への寄稿を一部紹介します。



50周年おめでとうございます。
私が「でん八」に行ったきっかけは、昭和44年(1969)当時、新宿歌舞
町にあったキャバレー「アダムとイブ」で、佐野柳哉さん率いるバンドの一
員として歌っている時に、佐野さんに連れられて行ったのが最初でした。
その後、2、3回行った記憶があります。バンドをやめて角筈にあったスナッ
バーテンダーをしている時に、佐野さんが来てでん八そのに」が出来たか
ら行うと、誘われておじゃましました。
中華ではない時です。しばらくして、友人に誘われてお店を変わる時10日位
あり、佐野さんから、「そのに」のバーテンさんが辞めて困っているので
手伝ってくれと言われて、1週間の約束でやる事になりました。
その間に、新しい店の話がご破算になり、そのまま、「そのに」に、残る事に
り、正式に勤める事になりました、昭和45年、前半位の頃だと思います。
現、歌舞伎町店の弘史が4、5歳の頃かな? 定かではありません。

昭和46年夏頃に、兄貴が腎臓結石で入院し、あきさんがでん八」をやり、私
「そのに」をやっていました。9月頃に私が「でん八」に行き、あきさんは
「そに」に戻りました。11月3日、文化の日、隣の「田毎」から出火して
「でん八」延焼、夜7時頃でした。店をリニューアルし営業を始めた頃に、
歌舞伎町に新店をつくる事になり、それに伴って、「そのいち」を売却する話
になり、売るのはもったいないので、私にやらせてくださいとお願いし、やる
事になりました。
その後、10年間営業して立ち退きで閉店することになりました。

書こうと思うと、いっぱいありすぎて書ききれません。野球チームの結成。
夏、三浦海岸での海水浴。忘年会の思い出など、、、色々ありました。
なので、ここでは皆さんがあまり知らない部分を書きました。
「でん八」なくして今の自分はありません。
これからも益々の繁盛とご活躍をでん八」ならびにお客様皆さんに幸あれ。

                          タカハシ・シロウ




2013年12月5日木曜日

つい、本音が出てしまう!


かつて、1960年代に「政暴法」を廃案にしたことがあるが、安定政権にある現政権は
力でトンデモ「特定秘密保護法案」の成立を強行突破してきています。

石破自民党幹事長は自分のブログで、秘密保護法案反対の国会周辺のデモについ
て「絶叫戦術はテロ行為とその本質であまり変わらない」と書いた。こと法案が、目指
すところを迂闊にも暴露してしまったことになる。
秘密保護法推進の背後にある本音がぽろっと出たのであろう。
われわれ国民に知らせず、言論を抑圧する秘密保護法の本質を端的に現している。

この法案は、実のところまるで軍機保護法(1937年制定)や、1941年に制定された
国防保安法と同じ構成だとされている。
暴力、テロの規定はあいまいで、時の「支配権力」によって如何ほどにも行使できる悪
法になるのは間違いない。

2013年12月4日水曜日

311震災1000日に思う。


 東日本大震災から1000日になる。
瓦礫の撤去処理はほぼめどがつきつつあるようだが、被災者の生活基盤の再興は
遅遅としてすすんでいない。

そんななかで大槌町の場合、人口の流出が二番目に多く、被災前に1万6千人弱あ
ったのが、現在1万3千人と発表されている。さらに、住民票を残したまま外に出てい
る流動人口を勘案すると1万人を切っているのではないかともみられている。
未来の展望が不確かななかで、進まないのが住宅整備だ。
被災者に貸し出す「災害公営住宅」の必要戸数の完成は3%程度で、4割は工事着
工に至ってないと云う。(福島は除く)
原因は地権者の思惑や不安が原因である部分もあろうが、一番の阻害要因は被災
者を慮った復興へ邁進して行く熱意のなさに思えてならない。

今日は、「大槌の風特定非営利活動法人」の支援者と、一年の活動を総括してみま
した。
事業として、道半ばのものもありますが、以下の活動ができた。
*「こどものとも」ほか、本の寄贈。
*第二次、被災写真の復元と整理。展示会。
*大槌の人との東京交流会(5ヶ所)と復興三陸海産物の即売手助け。
*「ひょっこりひょうたん島」とガラパゴス諸島の「ひょうたん島」を姉妹島提携を模索
 するドタさんのエクアドル行きのサポート。

なお、「本を被災地・大槌町のこどもたちに届ける」目的は、現段階で大まかな役割を
終えた。メンテナンスなどの継続事項は末永くやっていきたい。
兎にも角にも、被災者の復興にかけるおもいを、どこまで共有できるか確かめつつ、
他のNPO組織とも提携しつつ、しこしこと継続して関わっていくことを確認しました。

2013年12月3日火曜日

追悼・金田万寿人さん


金田トーハン元社長が亡くなったことを今朝の新聞で知りました。
心不全で11月26日に逝去。72歳でした。

1995年に、書籍部長だった金田さんにライン外の雑誌・ムックのコード取得に
あたり、親身に応援してもらった。
今では映画雑誌のなかで抜きん出ている洋泉社の「映画秘宝」は、当時、書籍
で刊行していた。そこで、書籍を定期雑誌化したうえで、数ヵ月後にムックでの
刊行を追認してもらうことにしました。相当無理がありましたがGOになりました。
ぼく自身、雑誌扱いに不慣れだったために、難しい局面を経験する半年近い交
渉になったが、カナダさんと当時の東京支社長の助言で秋に創刊できることに
なりました。
金田万寿人さん、いろいろと、ありがとうございました。合掌。

60年安保で、大学は違いましたが同時代経験をしており、何かと話す機会がありま
した。早く逝く同年代組みが出てきています。




2013年12月2日月曜日

大槌の鼻まがり鮭

鼻曲がり鮭の新巻(2013・12・1影)

3・11の大震災後、最初に大槌町に足を踏み入れたときに見た、大槌湾に流れ込
む大槌川は、自動車、家屋、ドラム缶、巨石など瓦礫で埋まり川の美しい姿はなか
った。

だが、一年数ヶ月後には、大槌湾から遡上しようと帰ってきた「鼻曲がり鮭」の元気
な魚群が見られたのだから驚きます。
津波によって、漁船や定置網はすべて流失してしまったが、復旧が進んで秋サケ漁
の水揚げも順調に復活しているようです。

さて、このたびこの三陸大槌産の「新巻」を送ってくれたのは、義理娘母からだった。
彼女は3・11当日、大槌町の実家を離れて大船渡の医療関係の仕事に従事して
いました。大津波の襲来からはやっとのこと難を逃れたが、家屋が流出してしまい、
お祖母ちゃんの安否がわかったのは一週間後のことでした。
こうした状況のなかで気丈に生きる娘母に、被災地を訪ねた時、上京してきたとき、
話す言葉がみつからなかった。
「わたしは生きている。亡くなった知人が、人がいっぱいいる。」と言って、表情はあ
っけんからんとしていました。
被災のこと、大槌のことを語ることを避けるように寡黙になっていまいたが、こうして
地元で再興をはかる知り合いのお店の海産物を送ってもらったことで、少しは許す
気持ちに和んできているようで、安堵しているところです。

2013年12月1日日曜日

大槌町、「ベルガーディア鯨山森の図書館」から




森の図書館を主宰する佐々木格さんから展覧会の案内が届きました。
「松家圭輔展」への誘いです。
現在展示中で、12月6日まで。(無料)

以下、チラシから───。
松家さんは、幼い頃に交通事故にあい、障害が残った。3年前から右手だけを使
い、絵を描くようになりました。
明るい色彩で海や大好きな三陸鉄道、最近では裂き織りを題材とした絵も描いて
います。

案内のチラシには、大槌湾と船越湾に突き出したリアス海岸の半島に、三陸鉄道
をイメージする透明感いっぱいの絵がそえられています。
「森の図書館」の活動に、先の「宮沢賢治と大槌のバラ輝石&童画展」につづき、
「松家圭輔展」が、佐々木さんの眼力でギャラリーに加えられることに感動していま
す。