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| 採りたての各種フルーツジュース(影:Pen) |
資料館の中で注目したのは、写真の展示とそれに付されたキャプションで、父
の島で過した教員生活の一端を想像することができた。
戦前のミクロネシアの生活様式を写真にとどめた貴重なもので、チャモロ族やカ
ナカ族の民族衣装や自然と共生する日常の様子、約3万人いた日本の開拓民
が住んでいた当時の町の様子、そして生活の糧となるサトウキビ栽培やリン鉱
石採掘の労働の様子など、戦前のサイパン、ロタの歴史に一歩近づくことがで
きました。
サイパンに滞在したとき、ホテルの庭師を手伝うチャモロ族の老人で、父を知っ
ているという人と対面することができ、時間が逆回転するような感覚になり感激
しました。
また友人ヤナギダ君が、随分前に社員旅行でロタに行っており、既にリゾート化
する現地の話を聞いたことがあります。当時、僕は南洋諸島にあまり関心がなく
て聞き流したことを、今さらながら残念に思っています。
この植物園は、ミクロネシア最大の熱帯植物園を謳っていますが、戦時下では
多くの人命を奪った激戦の地として記憶しているはずです。
広大な園内で掘り出された砲弾や銃弾が展示しているのを見るにつけ、「父」と
共に頭を垂れました。
一方で、大昔にマゼランが上陸したラウラウ湾とビーチがみられ、水平線が円く
見えました。
父が教鞭をとっていた「チャッチャ尋常小学校」は、このラウラウビーチの近くで
カグマン岬にも隣接していたと思われます。
この位置関係については、これからも追跡を続けたいと思っています。
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